翻訳|navel
臍帯(さいたい)(俗にいう〈へその緒〉)が胎児に付着していた部分,すなわち臍輪の跡。臍帯は臍輪によって輪ゴムのようにとりまかれているが,生後日がたつにつれて,その締めつけが強くなり,臍帯の中を走る臍動静脈も閉塞し,結合組織化して,臍帯が脱落する。つまり,へその緒が落ちるのである。臍帯の脱落後,臍動静脈の断端部は周囲組織とともに縮小し瘢痕(はんこん)化し,いっそう狭まった臍輪の中に,こけしの首のようにはまりこみ,その上を皮膚がおおう。これが成人のへその姿である。臍輪の狭まりが遅れた乳児では,泣いて腹圧が高まったときなどに腸などがその穴から皮下にとび出してくる。これが臍ヘルニアである。この部分には皮下脂肪も筋肉もないので,著しいくぼみ,臍窩(さいか)をつくる。
執筆者:藤田 恒太郎+藤田 恒夫
《和名類聚抄》はへそを腹の孔だというが,古来人体に九竅(きよう)すなわち9個の穴があるとされるのは,眼窩,外耳孔,外鼻孔,口裂,外尿道口,肛門のことで,へそは数えられていない。けれども《和漢三才図会》も〈腹孔為臍〉としている。さらにへその上下は腹であると,へそが腹の中心であることを強調する。臍黒(へそぐろ)というのは腹黒(はらきたなし)と同じだと《物類称呼》にあるのも,へそで腹を代表させる例である。また,へそより上にある孔はすべて浄(きよ)く,へそより下の孔は不浄だとする《マヌ法典》も,へそを孔とみて一つの基準にしている。
道教では人体を小宇宙とみて,これを頭と腕の上部,胸の中部,腹と脚の下部とに分け,各部に丹田と称する支配中枢があって神々を宿すとした。上部の丹田は泥丸宮,中部の丹田は絳(こう)宮で,下部の丹田はへその下3寸のところにある下丹田である。大宇宙である天地の気は呼吸によって腹に達し,下丹田にある精と交わって人格を形成する〈神(しん)〉となる。下丹田にある精は多いほど,また強いほど良いとされた。臍下丹田に力を入れて精力を蓄えるという考えはここからでている。これはまた,横隔膜とへその間には第3種の魂があるというプラトンの考え(《ティマイオス》)と似ている。
石臼や鍋釜のたぐいにまでへそがあるが,日用品のみならず地球的規模のものにもへそはある。道教の人体小宇宙説によれば,へそは二十四節気のうちの春分や秋分に相応し,地理的には崑崙(こんろん)山にあたる。崑崙山は仏教でいう贍部洲(せんぶしゆう)にある無熱悩池の北の香酔山(こうすいせん)のことで,道教と仏教の混交はここにも認められる。一方,中国では泰山も天斉と呼んだ。〈斉〉は中心のことで,へそを指す。泰山を天のへそと考えた天子たちは,秦の始皇帝をはじめ即位するとここで天地をまつる祀典を執り行っている。このように自分たちの住む土地のどこかに中心を見いだしてこれを肉体の中心であるへそに対応させる考えは,古代の人々にあまねくみられた。ギリシアのパルナッソス山にあるデルフォイのアポロン神殿には臍石(オンファロス)がある。ギリシア語のオンファロスomphalosにも中心とへその両義があるが,デルフォイのオンファロスが大地の中心であると思われていた。ゼウスが地上の中心地を調べるために2羽のワシを地面の両端から向き合わして飛ばしたところ,デルフォイで2羽が出合ったことによるとされる。デルフォイの神託が古代ギリシア人に絶対的な力をもった理由の一つは,この中心地からの予言だったためである。オンファロスと同義のラテン語ウンビリクスumbilicusのumboは〈突起〉や〈こぶ〉の意で,umbilicusがフランス語nombril,ドイツ語Nabel,英語navelへと変わる。
泰山もオンファロスも山や石で,隆起であって孔ではない。これは古代インド人でも同様で,《リグ・ベーダ》にいう天の神と地の神が接吻する場所である〈世界のへそ〉も,イスラムの聖地メッカにある神殿カーバを支える〈天のへそ〉と称する柱も周囲から突出した構造である。日本には加古川市生石神社をはじめ各地に臍石があり,清涼殿の石灰壇や東大寺二月堂の岩盤もへそであるという(井本英一《死と再生》)。同書によれば,ゾロアスター教にもイランの古都ペルセポリスの近くに〈水の岩〉という岩盤があって,これが〈天のへそ〉だという。へそはこれらのような隆起物と限らない。新約聖書《ルカによる福音書》2章にシリア総督クレニオが行った最初の人口調査の話があるが,これはシリア州の一地方ユダヤが大地のへそなので,ここから調査をすることになったのである。また,インカの首都クスコの名は〈世界のへそ〉という意で,インカ族はみずからの住むこの地を中心と思っていた。
プラトンは《饗宴(シュンポシオン)》の中で,人間にはもと男女,男男,女女の3種があって,それぞれ2体が合体した姿だったが,ゼウスの命を受けたアポロンが1体ずつに切り離した。そして皮膚を四方から引き寄せて切断面を覆い,財布のひもを締めるように腹の中央でこれを絞った口がへそであるとアリストファネスに語らせている。犬や猫など他の哺乳類ではへそは見つけがたく,人だけに明りょうなへそがある。いわゆる出べそは新生児期にはまれではなく,これを貨幣で圧迫して矯正する民間療法は有効である。アフリカの諸民族には小児期に巨大な臍ヘルニアをもつ者が多く,手掌大のものもある。F.ウィレットの《アフリカの美術African Art》の中にはたくさんの出べその彫像を載せてあって,へそが強調されていると説明されているが,これらは誇張ではなくむしろ写実的な表現と思われる。E.A.W.バッジによれば,エジプトの〈死者の書〉にはオシリスがその誕生の日にへその緒を切って汚れを清めたとある,という。彼はこれを神性を獲得する象徴的行為と考えたわけだが,また王や偉人たちの臍帯を大切に保存する習俗にも言及していて,後産には霊が宿っていて臍帯が子どもと霊をつなぐから長く保存するのだとし,王位についた王子の臍帯を双子扱いして飾りたてるウガンダの部族の例をあげている(《オシリス》)。大きな出べその周囲を線条で飾って目だたせた彫像があるのは,このような臍帯信仰と関係があるのかもしれない。日本でもへその緒を保存することが少なくないのは,親子の連帯を長く記念するためである。なお,臍帯に生命力を思い入れて皮下に埋めこみ,不老長寿を夢みることが最近までみられたが,これは医学的根拠を欠く迷信である。
→腹
執筆者:池澤 康郎
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