版画家。明治42年4月5日和歌山県生まれ。家は代々千葉県銚子(ちょうし)でしょうゆ醸造を営み、彼も6歳で銚子に移住。東京の京華(けいか)中学校の終わりごろから小林万吾(まんご)(1870―1947)に洋画を、建畠大夢(たてはたたいむ)に彫刻を学ぶ。1927年(昭和2)東京美術学校塑造科に入学したが、梅原龍三郎(りゅうざぶろう)の助言もあり1930年中退して渡仏。サロン・ドートンヌほかに油絵を出品、1937年自由美術家協会の創立にパリから参加。パリで水彩画と銅版画の個展を開き、1939年帰国。第二次世界大戦後、本格的に銅版画を始め、1953年(昭和28)ふたたび渡仏し、定住。翌年サロン・ドートンヌ会員となる。1955年ごろからは、カラーメゾチント版画を手がけ、1957年には第1回東京国際版画ビエンナーレ展で国立近代美術館賞、またサン・パウロ・ビエンナーレ展で版画最優秀賞を受賞する。翌年毎日美術賞を受ける。その後も世界各地の美術展に招かれ、受賞も多数ある。1981年にはパリからアメリカのサンフランシスコに移住。1984年サライエボ冬季オリンピックの記念ポスターに作品が用いられるなど、国際的に高い評価を受けた。1996年(平成8)帰国。代表作に『パリの屋根』『青いガラス』『四つのさくらんぼ』『西瓜(すいか)』ほかがある。夫人の南桂子(みなみけいこ)(1911―2004)も版画家であった。
[小倉忠夫・柳沢秀行]
『北嶋廣敏著『浜口陽三の世界――愛と円環』(1977・湯川書房)』▽『『浜口陽三全版画』(1985・Mギャラリー)』▽『『浜口陽三全版画作品集』(2000・中央公論美術出版)』▽『浜口陽三著、三木哲夫編『パリと私――浜口陽三著述集』(2002・玲風書房)』
昭和・平成期の版画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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