大正から昭和初期にかけて、盛り花の流行の後を受けておこった近代意識に基づく創造的いけ花。広義には、伝統的な形式主義のいけ花を打破し、芸術的いけ花を追求するすべての現代いけ花の呼称として用いられる。自由花の名称がいつだれによって始められたか明らかでないが、自由花を明確な理念のもとに提唱し、近代いけ花成立の根拠をなしたのは山根翠堂(すいどう)である。彼は「天地人の定型格花全体に激しい不満」を感じ1927年(昭和2)に真生(しんせい)流を創流し自由花運動をおこし、伝統的流儀花と対決した。翠堂はいけ花を個の表現として出発させた意味で自由花の先駆をなすが、昭和前期の自由花はそうした理念よりも、近代的な花型の形成を目ざした諸家の活動が展開され、そこにモダニズムの近代花型を生むに至った。第二次世界大戦後の思想的に自由な風潮と反伝統主義のもとに前衛いけ花が台頭し、近代意識の醸成を越えて一足飛びに前衛芸術の刺激による変革がもたらされるが、それらが表現様式上の問題以上に及ばなかったのは、自由花の道が本当の近代意識の土壌を培っていなかったからだといえる。そのなかで勅使河原蒼風(てしがはらそうふう)の造形的追求は、自由花に一つの帰結を与えるものであった。蒼風は伝統的表現に抵抗し、色、形、マッスといった造形表現の特性を支える諸要素をもって花材をとらえていけ花を構成するところに、近代いけ花の成立を図った。今日の自由花の典型は彼に求めることができるといえよう。
[北條明直]
…安達潮花はこれを当初飾花(かざりばな)とも呼んだが,当時のブルジョア層の応接間という新しい室内空間に機能するものとして発展していった。こうした新しい形式の盛花の出現に刺激されて,西川一草亭に代表される文人花の長所に注目し,形よりも理念を先行させたいけばなを目ざして山根翠堂たちによる自由花の運動がはじめられた。明治の修養主義から大正の教養主義の時代へと,いけばなの自由花もまた人間の教義としてのいけばなを問い,その確立を志した。…
※「自由花」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加