幕末期に坂本竜馬がまとめた8ヵ条の新しい国家構想。この国家構想は,竜馬が1867年(慶応3)6月9日長崎を出発して上京する途中,船中にて同乗の後藤象二郎に示したものであって,内容的には大政奉還,公議政体,法典制定,海軍拡張,親兵設置,幣制改革など,集権的な統一国家を構想するものであった。とくに大政奉還による朝廷への権力集中と上下議政局(上院,下院を意味する)の設置による議会政治実現の構想は,従来からなかったわけではないが,武力討幕がようやく現実の問題となりはじめたこの時期において,武力討幕論にとっても新しい国家構想として大義名分をあたえることになり,武力討幕に同調できない勢力にも新しい方針として受けいれられた。こうして土佐藩では6月21日に,この構想にもとづく大政奉還論が,在京重臣の間で決定となり,後藤象二郎が中心となり推進されたのである。
執筆者:池田 敬正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
坂本龍馬(りょうま)が1867年(慶応3)6月9日土佐(とさ)藩船夕顔丸で長崎をたち上京の船中、藩士後藤象二郎(しょうじろう)に示した新しい国家体制の要項。八か条からなり、筆記者は海援隊書記の長岡謙吉。第1条で、政権を朝廷に奉還し朝廷を中央政府とすることを示し、第2条で、上下議政局(議会)の設置、以下、人材の登用、外国との正常な国交の樹立、無窮の大典(憲法)の制定、海軍の拡張、帝都守衛の新軍隊の編成、世界に通用する貨幣・物価の制度の樹立をあげ、このほかに日本の危機を打開する道はないと断言している。第1条は土佐藩の建白による大政奉還として実現、第2条以下は新政府の五か条の誓文につながり、さらに明治政府の課題となる。
[関田英里]
『平尾道雄著『坂本龍馬海援隊始末記』(中公文庫)』
坂本竜馬が立案した新国家体制論。1867年(慶応3)の兵庫開港勅許前後から雄藩間の提携論議が急速に活発になり,同年6月高知藩も後藤象二郎を竜馬とともに京都に遣わし,この議論に参加させた。長崎から京都にむかう船中で,竜馬が海援隊員長岡謙吉に筆記させて後藤に示したといわれる。大政奉還を前提に,議会開設・官制刷新・外国交際・法典制定・海軍拡張・親兵設置・貨幣整備など8カ条を提唱したもの。後藤は雄藩連合に道を開くこの論に賛成し,京都でこれを藩論とすることに決め,西郷隆盛らと会談のうえ薩土盟約を結び,大政奉還の方針を高知藩内外に明らかにした。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…1865年(慶応1)から翌年にかけての薩長同盟,その翌年の薩土盟約を実現させるための政治活動,それとこの間の亀山社中(1865成立)および海援隊における海運・貿易に従事しながらの航海術の修業は,他の維新の指導者にはみられない行動様式であった。この新国家構想を進める政治家の時代は,後藤象二郎の大政奉還論に利用される〈船中八策〉に代表される。そこでは,幕藩制的秩序にこだわらない中央集権的な統一国家が構想されている。…
…その中心人物が後藤象二郎で,彼は前藩主山内容堂(豊信(とよしげ))を動かしてこの運動をすすめた。この後藤の大政奉還論の背後には,いわゆる〈船中八策〉(坂本竜馬が後藤と上京の途次立案し,1867年6月15日綱領化された)にみられる政治綱領があった。それは政治の実権を幕府から朝廷に奉還し,朝廷(天皇)のもとに諸侯会議および新たに登用された人材(議員)によって構成された上下議政局をおいて万機を公議に決し,開国和親・法律制定・軍事力(御親兵)設置・貨幣統一などによって国家の体制を整えようとしたものであった。…
※「船中八策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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