精選版 日本国語大辞典 「夕顔」の意味・読み・例文・類語
ゆう‐がお ゆふがほ【夕顔】
[1] 〘名〙
① ウリ科のつる性一年草。アフリカ、アジアの熱帯地方の原産で、日本では古くから栽培されている。先の二分した巻ひげで他物にからむ。全体に粗毛を散布する。葉は長柄をもち腎臓形で掌状に浅く裂け縁は歯牙状。雌雄同株。夏、先の五裂した径五~一〇センチメートルの白い合弁花を開く。花は夕方開き、翌朝しぼむのでアサガオやヒルガオに対してこの名がある。果実はほぼ球形(フクベ)のものから長円形(ナガユウガオ)のものまであり多形。若い果実は食べられ、また干瓢(かんぴょう)をつくったり、陰干にして、炭取り・花器・置物などにしたりする。漢名壺盧。たそがれぐさ。ながふくべ。《季・夏》
▼ゆうがおの実《季・秋》
※枕(10C終)六七「夕がほは、花のかたちも朝顔に似て」
② 江戸時代、江戸吉原の松葉屋で、同一の遊女のもとへ二回目に通ってくる遊客をいう。松葉屋抱えの太夫、瀬川が、「ほのぼの見ゆる花の夕顔」という意で、「源氏物語」の夕顔の巻から引用して名づけたといわれる。〔随筆・当世武野俗談(1757)〕
③ 夜の商売などに出るために、夕方、化粧をした顔。
※浮世草子・好色一代男(1682)三「夕㒵(ユフガホ)を作りて、ひらしゃら靡(なび)くといふ事ぞかし」
④ 遊女の異称。
※雑俳・寄太鼓(1701)「夕顔の鳥羽海道へ這ふて出る」
[2]
[一] 「源氏物語」第四帖の巻名。光源氏一七歳の夏、五条の宿りに夕顔を見いだし、八月、夕顔を伴って宿った六条のなにがしの院で、物の怪(け)のため、夕顔を急死させてしまうことを中心に、空蝉(うつせみ)の伊予下向や六条御息所との交渉にも触れる。
[三] 謡曲。三番目物。観世・金剛・喜多流。作者未詳。「源氏物語」による。旅僧が都の五条あたりに来ると、ある家から和歌を吟詠する声が聞こえてき、やがて女が現われて、ここが夕顔が物の怪に襲われて死んだ所だと教え、夕顔が源氏と契りを結んだ有様を語って姿を消す。その夜、僧の夢の中に夕顔の霊が現われて舞を舞い、僧の回向によって迷いが晴れたことを喜ぶ。
[四] 地歌・箏曲の一つ。菊岡検校が文政(一八一八‐三〇)の頃、三味線の手事物として作曲。のち、八重崎検校が箏の手を作曲。
[語誌](1)「枕‐六七」でその花の姿と名が賞されてはいるが、和歌では「人麿集」「江帥集」「散木奇歌集」などに散見するのみであった。平安時代後期に和歌に多く詠まれるようになったのは「源氏‐夕顔」の影響が大きい。そこで詠まれている「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたるゆうかほの花」「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花のゆふかほ」の歌や、源氏が花の名を問うにあたって引用した「古今‐雑体」の「打渡す遠方人(をちかたひと)に物申す我 そのそこに白く咲けるは何の花ぞも〈よみ人しらず〉」に依拠した歌も多く詠まれた。「白露のなさけおきける言の葉やほのぼの見えし夕顔の花〈藤原頼実〉」〔新古今‐夏〕など。
(2)「山賤(やまがつ)」「賤(しず)」などの語とともに詠まれることも多く、「徒然草‐一九」にも「六月の比、あやしき家にゆふがほの白く見えて」とある。
(2)「山賤(やまがつ)」「賤(しず)」などの語とともに詠まれることも多く、「徒然草‐一九」にも「六月の比、あやしき家にゆふがほの白く見えて」とある。
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