デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「良円」の解説
良円(3) りょうえん
治承(じしょう)2年生まれ。九条兼実(かねざね)の子。法相(ほっそう)宗。信円につき奈良興福寺一乗院の門跡(もんぜき)をつぐ。2度興福寺別当となる。承久(じょうきゅう)元年僧正となり,最勝講の読経番をつとめた。「万代和歌集」に1首のる。承久2年1月14日死去。43歳。
【格言など】花盛とひくる人のしるへしてあるしかほなる春の山風(「万代和歌集」)
良円(1) りょうえん
永観元年生まれ。藤原実資(さねすけ)の子。天台宗。延暦(えんりゃく)寺にはいり,慶円に師事する。長元元年権(ごんの)律師,2年法性寺(ほっしょうじ)東北院別当,6年権少僧都となった。永承5年7月死去。68歳。
良円(5) りょうえん
石見(いわみ)(島根県)の在地領主永安兼祐の妻。夫から永安別符(那賀郡弥栄(やさか)村)や益田荘の一部をあたえられ,延慶(えんきょう)3年(1310)ごろ娘の良海尼と息子の永安兼員にゆずった。
良円(2) りょうえん
天承元年(1131)鳥取県大山寺の阿弥陀如来坐像をつくった。その胎内墨書に「大仏師大法師良円」とある。
良円(7) りょうえん
法橋。康安2=正平(しょうへい)17年(1362)摂津多田(兵庫県)の光遍寺をひらいた空円の像をかいた。
良円(4) りょうえん
真言宗。永仁(えいにん)5年(1297)東寺四長者となった。僧正。