良円(読み)りょうえん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「良円」の解説

良円(3) りょうえん

1178-1220 鎌倉時代の僧。
治承(じしょう)2年生まれ。九条兼実(かねざね)の子。法相(ほっそう)宗。信円につき奈良興福寺一乗院の門跡(もんぜき)をつぐ。2度興福寺別当となる。承久(じょうきゅう)元年僧正となり,最勝講の読経番をつとめた。「万代和歌集」に1首のる。承久2年1月14日死去。43歳。
格言など】花盛とひくる人のしるへしてあるしかほなる春の山風(「万代和歌集」)

良円(1) りょうえん

983-1050 平安時代中期の僧。
永観元年生まれ。藤原実資(さねすけ)の子。天台宗延暦(えんりゃく)寺にはいり,慶円に師事する。長元元年権(ごんの)律師,2年法性寺(ほっしょうじ)東北院別当,6年権少僧都となった。永承5年7月死去。68歳。

良円(5) りょうえん

?-? 鎌倉時代の女性。
石見(いわみ)(島根県)の在地領主永安兼祐の妻。夫から永安別符(那賀郡弥栄(やさか)村)や益田荘の一部をあたえられ,延慶(えんきょう)3年(1310)ごろ娘の良海尼と息子の永安兼員にゆずった。

良円(6) りょうえん

?-? 鎌倉時代の蒔絵(まきえ)師。
正和(しょうわ)4年(1315)近江(おうみ)(滋賀県)日吉神社神輿(しんよ)造替に参加した。

良円(2) りょうえん

?-? 平安時代後期の仏師
天承元年(1131)鳥取県大山寺の阿弥陀如来坐像をつくった。その胎内墨書に「大仏師大法師良円」とある。

良円(7) りょうえん

?-? 南北朝時代の画僧。
法橋。康安2=正平(しょうへい)17年(1362)摂津多田(兵庫県)の光遍寺をひらいた空円の像をかいた。

良円(4) りょうえん

?-? 鎌倉時代の僧。
真言宗。永仁(えいにん)5年(1297)東寺四長者となった。僧正。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「良円」の解説

良円

生年:生没年不詳
鎌倉後期の女性。石見国(島根県)の在地領主永安兼祐の妻。夫から一期分として永安別符,益田荘内小弥富,寸津などを得て知行し,それを娘孫夜叉に譲り,延慶1(1308)年,関東安堵の外題を得た。また夫の死後に生まれた兼員には,親権に基づき自身の意志で所領を譲与している。<参考文献>『吉川家文書』

(田端泰子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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