光泉寺記録などの開湯伝説には行基・源頼朝らがあげられる。草津の名称については大般若経にある「南方有名湯是草津湯」にちなむとする説、温泉の臭気から臭水(くさうず)に由来するという説がある。本願寺証如の「天文日記」天文八年(一五三九)四月三日の記事に「くさは津の湯」、「兼見卿記」天正一五年(一五八七)三月一一日条に「クサウ津之湯」、慶長三年(一五九八)五月二五日付前田利家書状(上杉家文書)には「草生津」とあり、温泉の硫化ガスの臭気によって生じた地名と推定される。文献上から湯治が確認できるのは室町時代に入ってからで、文明四年(一四七二)本願寺蓮如が入湯している(「西厳寺由緒書」西厳寺文書)。同一八年常光院尭恵は「北国紀行」に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
群馬県西部、吾妻(あがつま)郡草津町にある温泉。標高1170メートル、日本の高位温泉集落の一つで「草津よいとこ一度はおいで……」の『草津節』で知られている。温泉の湧出(ゆうしゅつ)量はきわめて豊富で、自然湧出量は全国第一位といわれる。盆地状中央で湯煙をあげる湯畑(ゆばたけ)を中心に、万代(ばんだい)、白旗(しらはた)ノ湯、西ノ河原(さいのかわら)など十数か所から湧出、いずれも強酸性の硫黄泉で、湯畑ではpH2.1、泉温は55~95℃を示す。温泉旅館は湯畑に集まる放射状の道路に沿って建てられ、豪壮な近代建築もみられる。温泉の発見は古く、源頼朝(よりとも)が浅間山麓(あさまさんろく)に巻狩の際に入浴した記事があり、江戸時代には東国の名湯として知られたが、盛んになったのは明治以後。神経痛、皮膚病などの湯治客を主体としたが、最近は「湯もみ」姿が見せ物化したように観光客主体の温泉に変質している。草津熱帯園、草津運動茶屋公園、片岡鶴太郎美術館などがある。JR吾妻線の長野原草津口駅から国道292号経由でバスが走り、夏の避暑、秋の紅葉、とくに冬のスキーに好適で、東京からの観光客、スキー客が多い。国道292号はさらに殺生河原(せっしょうがわら)、白根山腹を経て志賀高原に達する。北陸新幹線軽井沢駅からもバスが通じる。
[村木定雄]
『萩原進著『草津温泉史』(1948・文進堂)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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