デジタル大辞泉 「白根山」の意味・読み・例文・類語
しらね‐さん【白根山】
群馬県北西部、長野県境近くにある活火山。山腹に万座・草津などの温泉郷がある。上信越高原国立公園に属する。標高2160メートル。南接の
山梨・静岡両県にまたがる赤石山脈北部の北岳(3193メートル)・
[補説]平成30年(2018)1月23日にの本白根山が噴火し、死者1名を含む人的被害が発生した。水蒸気噴火とみられ、顕著な前兆現象はなかった。
県北西部の長野県境近く、草津町と
昭和三〇年(一九五五)頃、湯釜西北部火口壁の厚さ七〇センチほどの硫黄層最下部から笹塔婆二四片が出土した。平安末期―鎌倉期のものと推定され、いずれも破片で意味が通じにくいが、「願以此功徳普施諸女人同出血盆経往生」などは祈願を意味、「正教血盆経」は仏典に関係する。血盆経の普及時期が室町期であることから笹塔婆の年代を若干新しいとする説もある。草津入口の白根神社は古くは本白根(古白根)山を真西に仰ぐ地にあり、山頂の奥宮(本宮)に対する里宮(拝殿)であったと考えられる。旧鎮座地には修験者の祈祷壇とされる四角の土壇があり、本白根山中腹の
「裏見寒話」では「白根ケ嶽」と書き、「富士に続いての高山也、盛夏まても雪あり、其雪の年中絶さるを以て、白根ケ嶽の名あり、此山を甲斐ケ根とも云ふ」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
群馬県北西部,吾妻(あがつま)郡草津町の長野県境近くにある活火山。草津白根とも呼ばれる。本白根(もとしらね)山(2171m)と白根山(2160m)が鞍部を隔てて南北に対峙する双子火山である。基盤岩はおもに新第三紀の堆積岩や火山岩類からなり,北西部で標高2000m,南東部で900mの高さに位置し,基盤形態は南北で著しく非対称的である。その影響ですそ野は南東部に広く発達する。火山活動は本白根山地域に始まり,厚い白根凝灰角レキ岩層が形成され,次いで大規模な白根軽石流堆積物が流出して南東部に広いすそ野を形成した。続いて本白根山域と白根山から旧期溶岩が流出し,その直後に山頂部が陥没して馬蹄形カルデラが形成された。カルデラは,やがて現在の本白根山と白根山をつくる新期溶岩によって埋積された。その後白根山南東斜面に水釜,湯釜,涸(かれ)釜の3爆裂火口,白根山と本白根山との鞍部には弓池など多くの爆裂火口ができた。1805年(文化2)以来の噴火記録が残り,多くは湯釜が爆発しているが,1939年には弓池,76年には水釜でも爆発がみられた。湯釜の水はpH1.1の強酸性で,湖底の噴気孔から出る硫化水素によってエメラルドグリーンの神秘的な色を呈する。
白根山は上信越高原国立公園に含まれ,東側山腹にアズマシャクナゲとハクサンシャクナゲの群落(天)があり,標高1600m付近には多数の硫気孔により植物が育たず,動物が死ぬこともある殺生(せつしよう)河原がある。ここから山頂近くの逢ノ峰までロープウェーが通じる。スキー場の開発もすすむ。東麓に草津温泉,西麓に万座温泉があり,山頂付近を通る志賀草津道路(1992年無料開放)で志賀高原とも結ばれる。本白根山南麓一帯はかつて日本の代表的硫黄産地で,吾妻,小串(おぐし),石津,白根などの鉱山があったが,71-73年に全部閉山した。
執筆者:沢口 宏
栃木県日光市と群馬県利根郡片品(かたしな)村にまたがる火山。草津白根山と区別して日光白根山ともいい,奥白根山ともいう。標高は2578mで,関東以北の最高峰である。石英安山岩の溶岩円頂丘からなり,北西に流れた溶岩流は片品川をせき止めて,菅(すが)沼,丸沼を出現させた。この火山活動は日光諸火山のうちで最も新しいと考えられる。1625年(寛永2)以来数回の噴火記録がある。この山を囲んで金精(こんせい)山,前白根山(2373m)などがあり,この間に五色沼,弥陀ヶ池があることから二重式火山と考えられたこともあるが,これらは外輪山ではなく,前白根山は第三紀噴出の流紋岩からなり,金精山は溶岩円頂丘である。日光湯元温泉,金精峠,菅沼から登山路が通じる。日光国立公園に属し,亜高山帯にはオオシラビソ,ダケカンバ,ミヤマハンノキなど,五色沼北西や弥陀ヶ池の西にはシラネアオイの大群落がみられる。避難小屋付近の奥白根平周辺も高山植物が豊富である。頂上付近は岩石帯となっており,山頂からは尾瀬の燧ヶ岳(ひうちがたけ),男体山をはじめとする日光連山,遠く富士山,日本アルプスなどを望むことができる。かつて,南の錫ヶ岳(すずがたけ)からこの山を通って五色山,温泉ヶ岳(ゆぜんがたけ)へと北上する修行登山が行われた。
執筆者:平山 光衛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山梨、長野、静岡3県にまたがり、赤石山脈(あかいしさんみゃく)北部にある北岳(3193メートル)、間ノ岳(あいのたけ)(3190メートル)、農鳥岳(のうとりだけ)(3051メートル)の総称で、一般には白根三山とよばれる。岩質は古期岩類に属する変成岩ないし堆積(たいせき)岩であり、氷食地形も残り、高山植物や動物の種類も多く、広河原(ひろがわら)などを中心に赤石山脈のなかでは多くの登山者に親しまれている。甲府または奈良田(ならだ)(早川町)からバスで広河原に入り、北岳、間ノ岳、農鳥岳の順で3山を縦走するのが一般的なコースである。
歌枕(うたまくら)にいう甲斐嶺(かいがね)は白根山を意味するものと考えるより赤石山脈の山々と考えるほうがよいとされている。
[吉村 稔]
『朝日新聞社編・刊『週刊日本百名山no.5 朝日ビジュアルシリーズ鳳凰山・北岳』』▽『朝日新聞社編・刊『週刊日本百名山no.6 間ノ岳・塩見岳』(ともに2001)』▽『白籏史朗著『北岳・甲斐駒』(2001・ゼンリン)』▽『朝日新聞社編・刊『週刊続日本百名山no.5 朝日ビジュアルシリーズ鋸岳・農鳥岳・櫛形山』(2002)』
群馬県北西部、長野県境付近にある活火山。標高2160メートル。日光白根に対して、草津白根とよぶ。おもに安山岩の複合成層火山で、米無山(こめなしやま)(1871メートル)、本白根山(もとしらねさん)(2171メートル)、白根山(2160メートル)が南北に並ぶが、1805年(文化2)を皮切りに、1982~1983年(昭和57~58)まで、歴史時代の14回の噴火は白根山の水蒸気爆発に限られた。本白根山との鞍部(あんぶ)にある爆裂火口、弓池(ゆみいけ)での1902年(明治35)の噴火以外は、すべて頂部にある一連の涸釜(かれがま)、湯釜、水釜(みずがま)の3爆裂火口の内外でおき、ほとんどが湯釜であった。とくに1932年(昭和7)には、噴石で硫黄(いおう)採掘人夫2人死亡、7人負傷し、泥流も生じた。湯釜は直径約300メートルで、黄青色の熱湯(pH1.1の強酸性)をたたえ、硫化水素や水蒸気を放出し、湖底に硫黄を堆積(たいせき)している。この火山の山腹や山麓(さんろく)は、殺生河原(せっしょうがわら)などの硫気変質地帯や、草津、万座(まんざ)などの硫黄泉に富む。硫黄鉱床も多いが、石油からの回収硫黄に押され、1971年閉山された。上信越高原国立公園に属するが、第二次世界大戦後、自動車道路、ロープウェーなどが整備され、とくに1965年に志賀草津道路が全通し(現、国道292号)、観光登山客が激増した。冬もスキー客でにぎわう。火山活動監視のため地震計が常置され、前橋地方気象台で遠隔記録されている。
[諏訪 彰]
群馬県利根(とね)郡片品村(かたしなむら)と栃木県日光市にまたがる火山。草津白根に対して日光白根とよばれる。標高2578メートル。関東以北の最高点。前白根山などが外輪山をなす二重式火山のようにみえるが、前白根山は第三紀の流紋岩からなり、この西側山腹に石英安山岩の溶岩円頂丘とされる奥白根山ができた。溶岩は北西方向に流れて谷をせき止め、丸沼、菅沼(すげぬま)を形づくった。西方の蛍塚山(けいづかやま)楯状(たてじょう)溶岩や周囲の小円頂丘と複合している。日光諸火山のうちでももっとも新しい火山で、有史時代に入ってからも、1625年(寛永2)、1649年(慶安2。福島県会津地方まで降灰)、1872~1873年(明治5~6。利根川の魚被害)、1889年に噴火したが、すべて奥白根山の水蒸気爆発であった。第二次世界大戦後の1952年(昭和27)夏にも火山性異常現象(噴煙多量、鳴動)が認められたが、最近は噴気地域は存在しない。日光湯元温泉、金精(こんせい)峠、菅沼などから登山路が通じるが、いずれも健脚向きである。頂上付近は岩石帯であり、菅沼、燧ヶ岳(ひうちがだけ)、日光連山、富士山が見渡される。日光国立公園の区域に含まれる。
[諏訪 彰・平山光衛]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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