日本歴史地名大系 「萩城跡」の解説
萩城跡
はぎじようあと
萩市の西北端、
慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦に敗れ、防長二国に封じられた毛利輝元は築城の候補地として
築城前の状況について毛利家旧記写(毛利家文庫旧蔵)に「中古北条上野前司直元城、其後吉見大蔵大輔広頼出城、亦後吉見出羽守正頼隠居地」とあり、「萩古実未定之覚」も同様に記す。しかし北条直元(時直)は長門探題であり、当地に拠ったとは考えられない。吉見氏は
慶長九年築城に着手したが、当時の指月山はまだ完全な陸続きではなく、途中に多くの湿地帯があって、満潮時には徒歩では渡れなかったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報