奈良興福寺の修二会(しゆにえ)に付した神事猿楽で,薪猿楽,薪の神事とも称され,東・西両金堂,南大門で数日間にわたって行われた。《尋尊御記》には〈興福寺並びに春日社法会神事〉,《円満井(えんまい)座壁書》には〈御神事法会〉,世阿弥の《金島書(きんとうしよ)》には〈薪の神事〉などと記されている。薪猿楽執行の初めは明らかではないが,平安中期ころと推定される。世阿弥の《風姿花伝(ふうしかでん)》神儀に,〈大和国春日御神事相随申楽四座〉とあり,興福寺の修二会には大和猿楽が参勤の義務を負っていたことが知られる。修二会の前行事として行われる薪の宴の神事は,諸神を勧請するために焚く薪を採るもので,西金堂は河上,東金堂は氷室の両社から薪が運ばれ,法呪師(ほうしゆし)(呪師)が四民安穏・厄難駆除の悪魔払い,鬼やらいをした。それ自体もしだいに芸能化したが,それをもどく猿楽が芸能として賞翫(しようがん)されたのである。東・西金堂の手水所の登廊でも行法の練行衆(れんぎようしゆう)が薪を焚き諸神を勧請した。
金春(こんぱる)禅竹の《円満井座壁書》には,〈南都薪ノ神事猿楽,二月ノ行ナイ,西金堂ノ手水屋ノ薪ニ付タル御神事法会也。二月二日夜,西金堂ヨリ始ム。同三日夜,東金堂。五日ハ春日四所ノ御神前ニテ,四ノ座ノ長(おさ)式三番ヲ仕ル。同六日,衆徒ノ興行トシテ,南大門ニテ猿楽仕ル。ソレヨリ,時ノ寺務,一乗院,大乗院ニテ仕マツル。然バ一七(いつしち)日ノ所作也〉とあり,その大要を知ることができる。2月5日に春日神社で〈呪師走り〉(《式三番》)があり,6日から7日間行われた南大門での猿楽能が最大の行事であった。これは6・7日が四座の立合で,8日からは金春,金剛,観世,宝生の順に一座ずつ春日若宮社頭で能を演じ(御社上(みやしろあがり)の能),12日には再び四座立合で能を演じるものであった。この間に四座は興福寺の寺務を勤める一乗院,大乗院へ参上して能を演じた。江戸時代に大和猿楽が幕府のお抱えとなり,江戸への移住とともに観世座は参勤を免除され,残る3座も1663年(寛文3)以降は2座が交代で参勤し,明治維新で絶えた。しかし近年復活して現在は5月11,12日に南大門跡の般若の芝で各流による能が行われている。初日に春日神社で行われる《式三番》を〈呪師走り〉といいならわすのは,古く呪師との関係や《式三番》の主要な位置を示すものと思われる。
なお,近年各地で盛んに行われる薪(篝り(かがり))を焚いて演ずる能は,薪は明りの一つであり,風物でもあって,必ずしも仏法守護神勧請の聖火ではない,単に野外能に薪を用いるという意味で,薪能と称しているだけである。
執筆者:味方 健
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(1)奈良・興福寺の修二会(しゅにえ)の際の薪献進に始まる神事能。仏法の守護神を迎えるための聖火の薪の採取に伴う芸能で、薪猿楽(たきぎさるがく)、薪の神事とも称された。始まった時期についてははっきりしないが、13世紀なかばと推定される。能の始祖、観阿弥(かんあみ)が2月であれば永代参勤を寺と約束し、世阿弥(ぜあみ)は「一年中の御神事始めなり」と書いている。興福寺を母胎として発達した金春(こんぱる)、観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金剛(こんごう)の四つの座にとって、なによりだいじな行事であった。能が江戸幕府直属となってからは、観世座は出勤が免除され、他の座も二座交替制となった。2月5日の「呪師(しし)走りの翁(おきな)」に続き、6日から晴天7日間の演能が行われたが、明治維新や第二次世界大戦で一時とだえたこともあった。今日では5月11、12日に、元南大門の前の般若(はんにゃ)の芝で、古式にのっとり僧兵姿の執行役の進行により行われる。同時に春日(かすが)大社では「呪師走りの翁」、春日若宮では「御社上(ごしゃのぼ)りの能」が舞われ、能の古い伝承の姿を今日に伝えている。
(2)薪能を称する野外能が盛んになったのは、第二次世界大戦後の新しい傾向で、1950年(昭和25)京都・平安神宮の「京都薪之能」以来のことである。この傾向は現在では全国の100か所以上の都市や寺社に広まって定着している。夏の納涼を兼ねた催しとして、なかには1万人を超す観客を動員する例もある。姫路城や島原城、あるいは熊本の水前寺公園、三保松原(みほのまつばら)、新宿御苑(ぎょえん)などの名勝を背景とするものもあるが、明治神宮、大宮の氷川(ひかわ)神社、東京の浅草寺、福岡の護国神社、鎌倉の大塔宮など、神社、仏閣に奉納の形をとることが多い。レーザー光線とシンセサイザーによるエレクトロニクス薪能が催されたり、ビルの林立する都市空間の薪能、あるいは遊園地の野外劇場が用いられるなど、新機軸の薪能、ショーとしての薪能も増えつつある。海外でも、バチカンの法王の別荘、あるいはパリのエッフェル塔の下の公園などでも薪能が催された。
[増田正造]
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… 興福寺の修二会は,修円の弟子寿広により870年(貞観12)に西金堂で始行せられ,1027年(万寿4)には東金堂でも行われた。西金堂修二会には大和猿楽四座による薪(たきぎ)能が奉納され,能楽史上における意義は大きい。なお現在では薪能は修二会とはベつに,5月に催される。…
…この四座がやがて近江,丹波等の近隣諸座に対して優位に立ち,能の隆盛に中心的な役割を果たすのだが,その大和猿楽の歴史は平安時代にまでさかのぼる。すなわち,興福寺の修二会(しゆにえ)に付随する催しで,大和猿楽が幕末まで参勤の義務を負っていた薪猿楽(たきぎさるがく)(薪能)は,平安中期の万寿年間(1024‐28)以前の始行と推定されるから,大和猿楽の活動はそのころからのことになる。その後,1136年(保延2)に始まった春日若宮祭にも当初から猿楽の出勤が継続して認められる。…
※「薪能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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