藤原為信(読み)ふじわらのためのぶ

朝日日本歴史人物事典 「藤原為信」の解説

藤原為信

没年:没年不詳(没年不詳)
生年宝治2.2(1248)
鎌倉中期の歌人。似絵絵師。正安2(1300)年刑部卿,嘉元2(1304)年従三位,4年に出家,法名寂融,法性寺と号した。歌人として著名で『為信集』がある。40歳を過ぎてから鎌倉に下り,冷泉為相と親交を持ったことがわかるが,帰洛の年は不詳。また曾祖父信実,祖父為継,父伊信と続く似絵の家系を継ぎ,文永11(1274)年に「加茂祭絵巻」を描いた記録がある。「天皇摂関大臣影図巻」(宮内庁蔵)の奥書には天皇巻の鳥羽から後二条までを為信の筆とし,法住寺陵安置の後白河法皇彫像胎内に納入された「後白河法皇白描画像」にも為信筆の銘があるが,書き直しがあり確定できない。<参考文献>米倉迪夫「信実の子孫たち」(『美術研究』342号)

(相澤正彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原為信」の意味・わかりやすい解説

藤原為信
ふじわらのためのぶ

[生]宝治2(1248)
[没]?
鎌倉時代の画家。嘉元2 (1304) 年従三位に叙され,同4年出家して寂融と号し,応長1 (11) 年6月以後,正和5 (16) 年 12月以前に没。藤原信実曾孫にあたり,似絵 (にせえ) の技法を継承して画名が高かった。画跡として『賀茂祭絵巻』 (1274) は模本のみが残るが,宮内庁書陵部蔵『天子摂関御影』のうち天子巻 (鳥羽院~後二条院) や,法住寺御陵の後白河院木像の胎内から発見された白描の同院御影下絵は,為信の作と考えられる。

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