藤原為信(読み)ふじわらのためのぶ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原為信」の意味・わかりやすい解説

藤原為信
ふじわらのためのぶ

[生]宝治2(1248)
[没]?
鎌倉時代の画家嘉元2 (1304) 年従三位に叙され,同4年出家して寂融と号し,応長1 (11) 年6月以後,正和5 (16) 年 12月以前に没。藤原信実曾孫にあたり,似絵 (にせえ) の技法を継承して画名が高かった。画跡として『賀茂祭絵巻』 (1274) は模本のみが残るが,宮内庁書陵部蔵『天子摂関御影』のうち天子巻 (鳥羽院~後二条院) や,法住寺御陵の後白河院木像の胎内から発見された白描の同院御影下絵は,為信の作と考えられる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原為信」の解説

藤原為信(2) ふじわらの-ためのぶ

1248-? 鎌倉時代の公卿(くぎょう),画家。
宝治(ほうじ)2年2月生まれ。藤原伊信(これのぶ)の子。曾祖父藤原信実(のぶざね)以来の似絵(にせえ)画家の系譜につらなり,子に藤原豪信(ごうしん)がいる。作品に御物「天子摂関御影(みえい)」,「賀茂祭草子」(模本)など。刑部卿となり,嘉元(かげん)2年(1304)従三位。4年出家。号は法性寺。法名は寂融。家集に「為信集」。

藤原為信(1) ふじわらの-ためのぶ

?-? 平安時代中期の官吏
紫式部外祖父村上天皇につかえ,康保(こうほう)2年(965)蔵人(くろうど)となる。のち右近衛(うこんえの)少将,摂津守(かみ),常陸介(ひたちのすけ)などを歴任寛和(かんな)3年(987)出家した。同時代の家集「為信集」の作者とは別人

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