中国,清代に中国本土および東北三省を除くモンゴル,新疆,チベット,青海地方の総称。これらの地方は18世紀後半までに清朝に征服されたが,清朝はこれらを直轄領に編入せず,中央官庁の理藩院の監督下にそれぞれの自治方式にゆだねて統治した。具体的には,モンゴルでは,旗(ホシュン)を行政基本単位となし,旧来の酋長を世襲の旗長(ジャサク)に任じたのに対し,新疆(回部)では,部族の有力者を非世襲の伯克(ベク)に任じて,自治を行わせた。またチベットでは,ダライ・ラマとパンチェン・ラマの二大活仏を併置し,行政権をダライ・ラマの統轄下に4人の大臣(カロン)に分散せしめた。こうした自治を監督するために,中央から新疆へは将軍,参賛大臣が,チベットへは駐蔵大臣が派遣された。清朝は藩部統治に当たっては,〈分割して統治〉する原則に立ち,このため少数民族の漢人からの隔離保護と民族宗教のラマ教,イスラム教保護に努めた。
執筆者:若松 寛
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清朝藩属のモンゴル,チベット,新疆(しんきょう),青海諸地域の総称。清朝はこれを直轄領とせず,間接統治策をとって地域に応じた自治体制をしかせ,相互の牽制を促して連携防止を図った。同時に中国本部や満洲とも区別してその接触を断ち,藩部の統轄事務管理機関として別に理藩院を設け,藩部要地に監察のための将軍,大臣などを派遣する方策をとった。
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…他に香港,澳門(マカオ)の問題。清朝では,(1)本部(内地ともいう),(2)藩部(内蒙古,外蒙古,回部すなわち西北のイスラム教徒地域,青海,チベット),(3)満州(清朝発祥の地なのでとくに直轄地とした)の三部建てで統治した。そのうち外蒙古はロシア革命の波及によって1924年にモンゴル人民共和国として独立している。…
※「藩部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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