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蝶夢 ちょうむ

美術人名辞典の解説

蝶夢

江戸中期の人。別号五升庵・泊庵。俳諧は机墨庵宋屋に学ぶ。仏に仕える傍ら各地を旅行して知名俳人との交友も広く、高潔・篤実・敬虔な一仏徒で、職業俳人ではなかった。寛政7年(1795)歿、64才。

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百科事典マイペディアの解説

蝶夢【ちょうむ】

江戸中・後期の俳人。別号五升庵等。京都帰白院の住職。当初は其角系の宋屋門人。1759年支麦(美濃派伊勢派)系に転向。その後,二柳らとの交流を通じて蕉風復興運動を志し,住職を辞して1768年洛東岡崎に五升庵を結んだ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蝶夢

没年:寛政7.12.24(1796.2.2)
生年:享保17(1732)
江戸中期の俳人。別号,五升庵,泊庵。幼くして僧籍に入り,住職の急逝に従って浄土宗帰白院の11世住職となる。俳諧においては最初都市系の望月宋屋に師事するが,美濃派の俳諧に連なり,松尾芭蕉の正風体を感得。以後京都俳壇の中心的存在となり,「花洛蕉門棟梁」(『華洛日記』)と称されるに至るが,一方では地方蕉門の内部退廃も批判した。洛東岡崎に五升庵を結び,芭蕉復興運動の中心的存在として活躍し,諸俳人も指導した。その事蹟のうち,義仲寺(芭蕉墓所)の護持と追遠行事に功があり,『しぐれ会』の刊行は注目される。さらには,伝記を解明した『芭蕉翁絵詞伝』,そして『芭蕉翁文集』などを含む3部作などは,芭蕉研究において貴重。<参考文献>田中道雄『蝶夢の俳壇登場をめぐる諸問題』(『語文研究』21・28・30・33号),大内初夫監修『時雨会集成』

(楠元六男)

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうむ【蝶夢】

1732‐95(享保17‐寛政7)
江戸中期の俳人。五升庵,泊庵また幻阿弥陀仏と号する。浄土宗の僧で,京都の人。はじめ望月宋屋に接したが,1759年(宝暦9)の越前敦賀(つるが)旅行を契機に地方系蕉門俳壇に移って,京の同俳壇の中心となり,寺町帰白院11代住職を辞して,68年(明和5)洛東岡崎に草庵を結ぶ。以後は芭蕉復興の俳諧活動に専念,例年義仲寺(大津市)で営む芭蕉忌を中軸とした芭蕉顕彰運動を全国的規模で展開して,70年には同寺の芭蕉堂を再建する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蝶夢
ちょうむ
(1732―1795)

江戸中期の俳人。別号五升庵(ごしょうあん)、泊庵(はくあん)。法号幻阿弥陀仏(げんあみだぶつ)。京都の生まれで、出自、俗名などは不詳。幼少より仏門に入り、のち中川阿弥陀寺中帰白院住職となり、36歳で洛東(らくとう)岡崎に庵(いおり)を結び隠遁(いんとん)した。俳諧(はいかい)を好み宋屋(そうおく)に入門したが、芭蕉(ばしょう)を知ってその顕彰と蕉風復興に尽力し、『芭蕉翁発句集』をはじめ多くの関係書を編した。また各地を旅行し、誠実な人柄から諸俳人との交友も広かった。俳風は平明ながら佳句も多い。寛政(かんせい)7年12月24日没。[松尾勝郎]
 背戸口や芥(あくた)を潜(くぐ)る春の水
『鍵和田子著『蝶夢』(『俳句講座3 俳人評伝 下』所収・1959・明治書院)』

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世界大百科事典内の蝶夢の言及

【類題集】より

…収載歌数の多いものでは《名所栞(めいしよしおり)》。俳諧の発句の類題集では蝶夢編《類題発句集》(1774)が有名。守武,貞徳などの古人から当時の作者に至る句を,1年の季題別,および雑類題別に編集。…

※「蝶夢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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