改訂新版 世界大百科事典 「行政裁量」の意味・わかりやすい解説
行政裁量 (ぎょうせいさいりょう)
行政裁量とは,行政権による裁量,すなわち国または地方公共団体の行政機関が,行政権限の具体的な行使に当たって用いる自由裁量をいう。行政裁量という言葉は,立法裁量(立法権による裁量),司法裁量(司法権による裁量)に対する意味で用いられているが,現代国家における自由裁量の理論は,主として行政裁量に関するものであり,したがって,行政裁量のことを,単に自由裁量ということもある。行政裁量は,行政機関の一連の活動すなわち行政過程のあらゆる部面で行使されるものであって,その対象領域には,国の政令・省令あるいは地方公共団体の条例・規則などの行政立法をはじめ,行政計画,行政処分,行政指導,行政強制などのほか,国や地方公共団体と私人との間の契約(公法上・私法上の契約)などの私経済的作用も含まれる。
官僚制の発達と行政裁量
行政裁量は行政権による裁量であるが,実際に裁量を行使するのは,行政権限の担い手である行政官僚であり,行政裁量の発達は,官僚制の発達と密接に関連している。これを現代行政に限って見ても,各国において,政府与党による官僚操作と官僚による実質的な政治支配との相互作用が,政治的行政裁量の増大をもたらし,他方,現代行政における専門技術的な要素とこれに対応する官僚の専門的な知識と経験の集積が,行政における専門技術的裁量を発達させてきたのである。行政裁量の具体的な行使の態様はさまざまであるが,いずれにしても,行政機関を構成する個々の行政職員が事案に応じて行使することを要求されており,職員は自己に与えられた権限の範囲内で,その精神的・肉体的な活動を媒介として,裁量行使の相手方である個々の私人または物件に対し,法律上または事実上の効果を及ぼすのである。このような個々の裁量的活動を個別的にどのように規制すれば,裁量行使における正義と衡平を確保することができるかということが,行政裁量における社会的統制の問題として注目されつつある。
法律による行政と行政裁量
行政裁量の理論は,主として行政法学における行政行為論の分野で発達してきた。現代行政法の基本原理である〈法律による行政の原理〉の目的は,行政権の活動を国民の代表である議会の定める法律によって拘束することにあり,これによって行政活動による不意打ちを防止し(法的安定性),あわせて行政活動に対する民主的なコントロールを確保することができる。しかしながら,現代行政は,その対象がきわめて広範な領域に及び,その内容も著しく専門化・技術化してきている。そこで,法律は,個々の行政機関に対し,その行政活動について包括的な授権を行うことによって,基本的には法律により行政機関に対する拘束を加えつつ,しかも行政上の臨機応変な活動を保障するという要請に応じている。このように法律による包括的な授権を受けて,行政機関がその授権の範囲内で自由な裁量によって行う行政活動のことを,理論上(自由)裁量行為といい,また法律上〈行政庁の裁量処分〉(行政事件訴訟法30条)という。これに対し,行政機関の活動のうち法律により厳格な拘束が行われ,行政裁量を行使する余地のないものを羈束(きそく)行為または羈束処分という。
行政法と行政裁量
たとえば,国税徴収法47条1項1号は,国税を滞納した者が督促を受け,その督促にかかる国税をその督促状が発せられた日から起算して10日を経過した日までに完納しないとき,徴収職員は,滞納者の国税につき,その財産を差し押さえなければならない旨規定している。このような規定の下では,差押えという行政行為の要件と,その要件が充足された場合の効果すなわち徴収職員のとるべき措置の双方について一義的に明確な定めが置かれており,羈束行為の典型的な例ということができる。しかし,多くの行政法令は,たとえば,風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律26条1項のように風俗営業者等の違法な行為が〈善良の風俗を害し,若しくは少年の健全な育成に障害を及ぼすおそれがあると認めるとき〉は,公安委員会は,営業の停止,営業許可の取消しをすることができると定めている。このような規定は,行政行為の要件と効果について行政庁に行政裁量を認めたものである。ところで,従来の自由裁量論は,裁量行為の中で,裁判所の審査に服するものと,服しないものとを分類し,前者を何が法であるかの裁量すなわち法規裁量(羈束裁量),後者を何が行政の目的または公益に適合するかの裁量すなわち便宜裁量(目的裁量,狭義の自由裁量)としたうえで,法規裁量と自由裁量の区別の基準を何に求めるかという議論が中心になっている。通説的見解は,法の趣旨・目的の合理的・合目的的解釈により,法が一般法則性を予定している場合か,政治的・技術的裁量を許容する趣旨であるかによって区別すべきであるとする。しかし,ある行政行為について,法律の規定のしかたやその解釈によって自由裁量行為であるかどうかを区別することは,実際上は困難なことが多い。第2次大戦後,行政裁判制度の変革にともない,行政裁量の問題は,行政庁の処分のうち,裁判所が取り消すことのできない種類のものとして理解されるようになった。すなわち,行政事件訴訟法30条は,行政庁の裁量処分は原則として取り消すことができないが,例外的に,〈裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合〉にのみ取り消すことができると定めている。ここでいう裁量処分について,通説的見解は,便宜裁量(自由裁量)処分を意味するとしているが,判例は,必ずしもそのような理論的区別に拘泥せず羈束処分を除く行政庁の処分一般について,法律の定め方よりもむしろ,行政行為の目的や性格に着目しつつ,裁判所と行政庁との間の機能分担ないし能力の相違という見地から,裁量処分であるかどうかを判断している。
政治的裁量と専門的裁量
行政裁量は,現代行政における行政の機能という観点から,政治的(政策的)裁量と専門的(技術的)裁量とに分けることができる。政治的裁量とは,行政機関が個別的事案の処理に当たっていくつかの価値判断の中から政策的な選択を行うものであり,旅券の発給に関する外務大臣の裁量(旅券法13条1項5号,1969年の最高裁判決),在留期間の更新の許可に関する法務大臣の裁量(出入国管理及び難民認定法21条3項,1978年の最高裁判決)がその例である。
次に,専門的裁量としては,第1に,国公立の学校,病院などの専門的職業にかかわる行政裁量があり,第2に,原子炉の設置や新薬の製造に関する行政上の許可のように,純粋に科学技術的な行政裁量がある。前者の場合,公の教育や医療の現場における行政的判断については,裁判所としては,第一次的に行政機関の判断を尊重すべきであるとされ,後者の場合は,科学技術的判断が一定の客観的基準によって行われるべきものであるから,裁判所は,行政機関の適用した基準が《不合理》であるかどうか,その基準に基づく判断の過程に《看過しがたい過誤》があるかどうかという観点から審理判断すべきものであるとされる(たとえば,原子炉設置許可処分に関する1992年の最高裁判決)。
行政裁量に対する統制
行政庁の行政裁量による処分については,いずれも,行政庁の第一次的な判断権を尊重しつつ,その濫用,踰越(ゆえつ)に対し最終的には,争訟(行政争訟)の提起をまって裁判所が事後審査に当たることになるが,その際法律上明確な判断基準がないときは,条理上の平等原則や比例原則が適用される。最近,行政裁量に対する法的統制について,専門的審議会の関与または行政手続法による行政手続によって行政裁量の適正な行使を確保し,これを前提として,裁判所は,行政処分の行われる手続・過程が公正であるかどうかという点に限って司法審査を行うべきであるという議論も盛んに行われている。
→行政行為 →法治国家 →法律による行政
執筆者:園部 逸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報