改訂新版 世界大百科事典 「法律による行政」の意味・わかりやすい解説
法律による行政 (ほうりつによるぎょうせい)
行政は法律に基づき,かつ法律に違反してはならないという原理。近代的・現代的法治国家の行政法の分野におけるもっとも基本的な原理であって,刑法の分野における罪刑法定主義に対応するものである。
〈法治行政の原理〉または〈行政法における法治主義〉ともいう。もともと,この原理は,一般に,絶対主義国家における国家権力の主観的恣意的支配に客観的合理的な法一般を対置し,法による支配を実現し,それによって国民の権利自由を保障しようとしたところに端を発するものであり,制度的には,権力分立=三権分立と立法権の優位の思想を背景とし,それを行政権とのかかわりで表現したものである。〈法治国家Rechtsstaat〉(ドイツ),〈法の支配rule of law〉(イギリス),〈法の優位supremacy of law〉(アメリカ),〈法の政体régime de droit〉(フランス)などの言葉は,ほぼ共通して上述のような内容のことを意味するのであるが,しかし,それらの言葉で語られる〈法律による行政〉の原理の具体的内容は,時代と国によって必ずしも同様ではなく,それぞれの国の歴史的社会的背景の差異を強く反映したものであった。
明治憲法下の法律による行政
明治憲法下の日本の行政法,行政法学は旧時代のプロイセン・ドイツの〈法律による行政〉の原理Prinzip der gesetzmässigen Verwaltung,Prinzip der Gesetzmässigkeit der Verwaltungの基本的考え方を採用した。ドイツで重要な位置を占めていたO.マイヤーのいう〈法律の支配Herrschaft des Gesetzes〉の諸原則である,(1)〈法律の法規創造力rechtssatzschaffende Kraft des Gesetzes〉,(2)〈法律の留保Vorbehalt des Gesetzes〉および(3)〈法律の優先Vorrang des Gesetzes〉は,それぞれ,(1)国民の自由と財産権を侵害する新たな一般的規律=新たな法規Rechtssatzの制定は立法議会の法律によってのみ可能であること,(2)国民の自由と財産権を侵害する権力行政=侵害行政は法律の根拠をもたなければならないこと,および(3)法律が存在する場合には行政はそれに違反できない,という意味をもつにすぎなかった。換言すれば,行政は法律の形式的根拠さえもてばすべてのことが可能であり,また,そのような根拠を要するのは侵害行政のみであり,かつ,その法律による授権も一般的包括的授権で足りるとされた。さらに,違法な行政によって侵害された国民の権利自由の裁判所による救済も,そこでの〈法律による行政〉の原理の不可欠の要素とされることなく,きわめて不十分であった。このような行政と法律との形式的関係を規律するにすぎない〈法律による行政〉の原理は,一般に形式的法治主義とよばれる。
明治憲法においては,外見的立憲主義Scheinkonstitutionalismus(ドイツ)に照応して,まず,帝国議会は統治権の総攬者たる天皇の立法権を協賛するにすぎないし,帝国議会を構成する貴族院および衆議院も,国民の代表機関性において問題があった(大日本帝国憲法5,33~37条)。つぎに,天皇は,行政組織の規律などについて立法議会の侵しえない天皇大権を認められた(10~12,31条等。大権)ほか,特定の場合には,立法議会の協賛すら要しないいわゆる緊急命令(8条)や独立命令(9条)を発することができた。さらに,〈法律の留保〉の原則は侵害行政について妥当するにすぎなかったし,かつ,当時の行政裁判制度は,権利救済制度としてはきわめて不備なものであった(61条,行政裁判法15条,〈行政庁ノ違法処分ニ関スル件〉等)。まして事前の行政手続の保障などはほとんど問題とされなかった。しかも,いわゆる特別権力関係には,このように不十分な法治主義すら妥当しないとされたのである。
日本国憲法下の法律による行政
国民主権とそれに基づく民主主義を定める日本国憲法下では,全国民を代表する公選議員で組織する国会は,国権の最高機関であるとともに,国の唯一の立法機関であって(日本国憲法41,43,44条),そこでは,法律の授権を欠く行政立法権の行使は認められず,また,法律による授権も一般的包括的なものであってはならない。しかも,〈法律の留保〉の原則の妥当範囲について説が分かれているとしても,授権を定める法律は,それ自体その内容・実質において憲法の諸原則,とりわけ基本的人権尊重主義によって拘束され(11,13,14,98条),かつての法律万能主義は排除されている。さらに,法律に違反する行政は,終局的には,違憲立法審査権をも有する独立で中立的な司法裁判所の審査に服するものとされる(76,81条)ことによって,国民の権利・自由の裁判所による救済も制度上は徹底することとなっている。また,憲法13条もしくは31条または法治主義を根拠に,事前行政手続の適正化も要請されるに至っている。いわゆる特別権力関係論も崩壊に瀕している。このような〈法律による行政〉の原理の内容上の転換は,実質的法治主義の確立とよばれる。そして,それは,イギリスにおいて発達して今日に及んでいる人権尊重を基調とする〈法の支配〉の原理とほぼ同様の内容をもつものといえる。
現代国家における問題
現代国家における行政または行政過程の肥大化・多様複雑化の現象は,好むと好まざるとにかかわらず不可避のものである。このことを法律による行政の原理とのかかわりでみると,さまざまな問題が生じている。重要なものとしては,法律による行政の例外的現象ともいうべき行政機関による裁量=行政裁量の増大および計画による行政=計画行政の一般化があげられる。そして,これら行政裁量および計画行政の展開は,すべての行政領域において,かつ,権力行政と非権力行政とを問わずみられるところであり,立法議会による行政の民主的・直接的統制の限界を意識せしめるに至っている。そこで,いまや改めて〈法律による行政〉の原理を補完または充実せしめる手法が検討されつつある。そのおもなものとしては,事前行政手続法のよりいっそうの整備,行政情報の公開(情報公開)と国民・住民参加,オンブズマン制度または行政上の苦情処理制度の確立をも含めた行政救済法制の充実などがあげられる。いずれにしても,法律による行政の原理がたんに理念的・抽象的な強調に終わることなく,現代行政の特質に応じた民主的統制の法制および法理が求められているのである。
→行政 →行政訴訟 →行政手続法 →行政法 →法治国家 →法の支配
執筆者:室井 力
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報