衣通姫(読み)ソトオリヒメ

デジタル大辞泉 「衣通姫」の意味・読み・例文・類語

そとおり‐ひめ〔そとほり‐〕【衣通姫】

《美しさが衣を通して輝く姫の意》允恭いんぎょう天皇の妃。皇后忍坂大中姫おしさかのおおなかつひめの妹。皇后のそねみを考えて河内かわちに隠れた。和歌三神の一として、和歌山市玉津島神社に祭られている。衣通郎女そとおりのいらつめ弟姫おとひめ

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精選版 日本国語大辞典 「衣通姫」の意味・読み・例文・類語

そとおり‐ひめ そとほり‥【衣通姫】

(古く「そとおりびめ」とも) 「記紀」の伝説上の女性。容姿が美しく、艷色が衣を通して光り輝いたという。「日本書紀」では允恭(いんぎょう)天皇の妃、皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)弟姫(おとひめ)、「古事記」では允恭天皇の皇女軽大郎女(かるのおおいらつめ)別名とされる。衣通王(そとおりのみこ)とも。後世和歌三神の一として和歌山市の玉津島神社にまつられる。

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改訂新版 世界大百科事典 「衣通姫」の意味・わかりやすい解説

衣通姫 (そとおりひめ)

允恭天皇の皇后忍坂(おしさか)大中姫の妹。生没年不詳。《日本書紀》では弟姫,衣通郎姫(いらつめ)という。同書によれば,允恭7年に新室の宴で皇后がみずから舞い,当時の風俗に従い妹を献じたという。その美しさが衣を徹してかがやいたので〈衣通郎姫〉と称され,天皇が何度も召したが,姉の嫉情を知って参向しなかった。しかしついに,母のいる近江坂田から大和藤原に居し,天皇は郎姫のために藤原部を定めて資養させたという。
執筆者:

衣通姫 (そとおりひめ)

軽太子・軽大郎女(かるのみこかるのおおいらつめ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「衣通姫」の意味・わかりやすい解説

衣通姫
そとおりひめ

『日本書紀』では、允恭(いんぎょう)天皇の皇后の忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の弟姫、『古事記』では同じ皇后の子の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の名とする。もとは古代美人伝承の主人公か。衣通姫の名の由縁(ゆえん)は、その美しさが衣を通って輝いていたゆえという。記では、太子の木梨之軽王(きなしのかるのきみ)が、禁じられた姫との同母兄妹婚のために支持を失って道後(どうご)温泉(愛媛県松山市)の地に移され、後を追ってきた姫とともに自害する。紀では、天皇のお召しを拒みえなかった姫が、寵愛(ちょうあい)を受けつつも姉の心情を思って和泉(いずみ)の茅渟(ちぬ)(大阪府)に退く。物語はともに歌謡を含み、人物、展開を異にしつつも、逆らいえない愛を生きた運命の人として美しく姫を語っている。

[吉井 巖]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「衣通姫」の意味・わかりやすい解説

衣通姫
そとおりひめ

允恭天皇の妃。衣通郎姫(そとおりのいらつめ)ともいう。皇后忍坂大中姫(おさかのおおなかつひめ)の妹。艶色が衣を通し照り輝いたから,こう呼ばれた。皇后のねたみを恐れ河内に姿を隠した。美貌で和歌に優れ,和歌山市の和歌浦にある玉津島神社にまつられる。『古今集』序に記され,以後長く美人の例に引かれ,多くの文学の題材となった。

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