袖判
そではん
古文書の右辺の余白部分を袖といい、そこに書かれた書判(かきはん)(花押(かおう))を袖判という。1045年(寛徳2)の大宰府政所牒(だざいふまんどころのちょう)の袖判が早期の例で、その後諸国が発給する庁宣(ちょうせん)という文書に、その国の知行国主(ちぎょうこくしゅ)が袖判を加えたものも多くみられる。武家でも源頼朝(よりとも)以後、袖判が多く用いられている。この形式の文書は、発給者と受領者とが主従関係にある場合など、身分の差が大きい場合に使用される。
[百瀬今朝雄]
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袖判
そではん
古文書学上の用語。文書の袖 (右端) に署した花押。日付の下に花押を書いたものよりも,受取人に対し尊大な書式となる。初見は寛治3 (1089) 年の大宰府下文。また,下から提出された文書に,上長が花押,あるいは承認の文章と花押を加えたものをも袖判といった。
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そで‐はん【袖判】
〘名〙 (「そでばん」とも) 文書の袖(右側空白部)に花押を書くこと。また、その代わりに
印判を押すこと。花押や印判のこともいう。
※建内記‐嘉吉元年(1441)六月一七日「地下々知状、予袖判遣了」
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そではん【袖判】
文書の右側の部分(袖または端という)に花押を記すこと,またその花押。中世武家文書に多くみられる。花押は通常奥の年月日を施した下に据えるが,差出者と受取者との間に身分上隔りのあるときに袖判を用いることがある。平安時代の中ごろよりみえ(寛治3年(1089)9月22日の大宰府下文(くだしぶみ)案が初見),ついで知行国主の庁宣に用いられた。中世において源頼朝の下文は,はじめ奥に花押を記したが,1184年(元暦1)以降袖判となった。
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デジタル大辞泉
「袖判」の意味・読み・例文・類語
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