文書の右側の部分(袖または端という)に花押を記すこと,またその花押。中世武家文書に多くみられる。花押は通常奥の年月日を施した下に据えるが,差出者と受取者との間に身分上隔りのあるときに袖判を用いることがある。平安時代の中ごろよりみえ(寛治3年(1089)9月22日の大宰府下文(くだしぶみ)案が初見),ついで知行国主の庁宣に用いられた。中世において源頼朝の下文は,はじめ奥に花押を記したが,1184年(元暦1)以降袖判となった。奉行の奉書では頼朝をはじめ北条氏,足利氏,島津氏の文書に,南北朝期の下知状(げちじよう)に,また室町時代の将軍家御教書では3代足利義満以後のものにその例がある。戦国時代には今川義元の判物(はんもつ)などにみえる。このほか中世の譲状においてその主人が証明のために袖判を据えることもあり,着到状で大将や軍奉行が証判として袖に花押を記す例も珍しくない。
執筆者:高橋 正彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
文書の右端(袖)に文書の本来の差出人が判(花押(かおう))を書き加えること,また,その判。文書の本文を家来などが代筆し,代筆者の姓名のみが書かれた場合,本来の差出人が確認のために花押を書き加える。その位置が袖の場合は袖判,奥上(おくうえ)(左端上)の場合は奥上判とよぶ。平安末期に国司の出す庁宣(ちょうせん)に,実際の責任者である知行国主が袖判を加えたのが早い例。鎌倉時代以降,武家文書に多く使われた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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