江戸幕府の民事裁判手続。刑事裁判手続たる〈吟味筋(ぎんみすじ)〉に対する概念であるが,可罰的事案が出入筋で裁判されることもある。出入筋の訴訟事件を〈出入物(でいりもの)〉あるいは〈公事(くじ)〉と称し,これに〈本公事(ほんくじ)〉と金銭債権に関する〈金公事(かねくじ)〉の別があって手続を若干異にした。江戸時代には,当事者の人別(にんべつ)地を支配する領主がそれぞれ裁判権を有したが,他領・他支配に関連する訴訟,すなわち〈支配違(しはいちがい)え懸る出入〉や,武家を相手取る場合などは,原則として幕府評定所の管轄となる。ただし,債権法,取引法と密接にかかわる金公事(金銀出入)については大坂町奉行所に広範な裁判管轄権が与えられており,江戸とは異なる債権保護的性格の強い法制を発達させたことが注目される。出入筋はまた〈目安懸(めやすがかり)〉ともいい,私人ないしそれに準ずる団体が訴状(目安)を裁判所に提出することによって開始されるもので,法廷(白洲(しらす))で原告(訴訟人,願人),被告(相手方)を対決させて判決を与える手続である。
裁判所はまず,訴訟人の提出した目安を審理し,訴を受理することの可否,受理する場合は本公事・金公事の別を決定する。これを〈目安糺(めやすただし)〉といい,裁判管轄,当事者適格,〈公事銘(くじめい)〉(〈質地出入〉〈売懸金出入〉などのように請求の内容を定型化して表した訴状の標題)などがおもな審査の対象であって,出訴要件を欠く訴や,〈仲間事(なかまごと)〉という特定の債権関係に関する訴訟などは,この段階で〈無取上(不受理)〉とされた。目安糺の後,あらためて正式の目安(本目安)を提出させ,裏書を加えて訴訟人に還付するが(目安裏書,目安裏判),これが相手方に対する召喚状となる。訴訟人はこれを自分で相手方のもとに持参し,町村役人立会いのうえで送達するのである。相手方は〈返答書〉を目安とともに裁判所に差し出し,指定された期日(差日(さしび))に原告,被告双方が出廷して対決する。この第1回目の審理(初対決,初而公事合)では奉行による〈一通吟味〉が行われるにとどまり,以後の詳細な審問は下僚(吟味方与力,評定所留役(とめやく)などの法曹役人)によってなされる。裁判は本人訴訟主義が原則で,訴訟代理(代人(だいにん))は限定的にしか許されないが,〈公事宿(くじやど)〉の主人,下代らが書類の作成や訴訟行為の補佐をすることが公認されており,弁護士類似の役割をある程度果たしていた。審理が熟すると,裁判調書(口書(くちがき))をまとめ,当事者に確認押印させて,これに基づき奉行が口頭で判決(裁許)を申し渡す。両当事者は連署した〈裁許請証文(さいきようけしようもん)〉を提出し,最後に訴訟人が目安と返答書を継ぎ合わせたものを持って裏書加判の奉行を歴訪して消印を受け,これを裁判所に納めて裁判は終了した。
訴訟費用は両当事者それぞれの負担で,上訴の制度はなく,裁許に従わない者(裁許破)は中追放に処せられる。また金銭債権の給付訴訟では,〈身代限(しんだいかぎり)〉という強制執行が実施された。なお出入筋では終始和解(内済(ないさい))を勧めるのが特徴であって,裁判のどの段階ででも内済することが可能である。内済で裁判が終了する場合は,当事者が〈済口証文(すみくちしようもん)〉を提出して奉行による〈済口聞届(すみくちききとどけ)〉を受け,これによって内済の内容は裁許と同様の効力が与えられた。
執筆者:神保 文夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…江戸の公事宿は〈江戸宿〉というのが公称で,馬喰町小伝馬町組旅人(りよじん)宿,八拾二軒組百姓宿,三拾軒組百姓宿の3組合が株仲間を形成しており,差紙(さしがみ)(役所への召喚状)の送達を委任されていたほか,宿預(やどあずけ)(宿での勾留。吟味筋,出入筋とも行われた)の者に対する責任を負い,また評定所や奉行所などへの出火駈付(かけつけ)の義務などが課されていた。遠国の奉行所,代官陣屋所在地にあるものは〈郷宿(ごうやど)〉と称する。…
…この口書を〈吟味詰(つま)り之口書〉といい,犯罪事実はこれによって認定され,あとは書面審理で刑罰が決定される。また出入筋では,原被両告の主張を1通の口書に併記し(金公事(かねくじ)はさらに略式),朗読して押印させた後に奉行が確認を行い,これを基に裁許を申し渡した。【神保 文夫】。…
…【高橋 正彦】
[近世]
民事裁判の判決書を総称して一般に〈裁許証文〉〈裁許書〉などといい,〈裁許状〉の語も広義にはこの意味で用いられる。幕府法上の出入筋(でいりすじ)では,白洲(しらす)において奉行が〈申渡〉と題する書面を朗読して,判決を告知する(裁許申渡し)。狭義にはこの書面を裁許状というが,通常これは訴訟当事者には下付されず,両当事者が連署押印した証文を奉行所に提出する。…
…もっとも公事宿は訴訟代理権を欠く訴訟補佐人にすぎず,庶民はその策略的技術を嫌って,内心は尊敬していなかった。(2)裁判手続の種類 幕府の裁判は手続上吟味筋と出入(でいり)筋に分かれ,その対象を吟味物と出入物もしくは公事と称した。吟味筋は職権主義的な糾問手続で,原告たる検察官はなく,〈御用〉として刑罰権の実現を目的とする刑事裁判と見てよい。…
…江戸時代の民事裁判手続(出入筋(でいりすじ))において,和解(内済(ないさい))が成立すること。民事事件(公事(くじ),出入物)では奉行所は終始内済を勧めるのであって,裁判のどの段階においても内済することが可能である。…
…広義には裁判外の示談も内済というが,裁判上の内済は,奉行所の承認手続(済口聞届(すみくちききとどけ))を経ることによって判決(裁許(さいきよ))と同様の効力が与えられる。民事裁判手続(出入筋(でいりすじ))においては,公権的・法規的裁断である裁許よりも,両当事者の互譲によって具体的合意を導く内済のほうが,紛争解決の原則的方法として奨励された。その背景には,私的紛争に関する裁判は為政者の恩恵的行為であるという思想とともに,現実的な裁判機関の不備,非能率や私法法制の未発達などの事情があったが,このことがまた〈権利〉意識や〈法〉観念の発達を妨げることにもなったといわれる。…
…江戸幕府の民事裁判手続(出入筋(でいりすじ))における被告(相手方)の答弁書。訴状(目安(めやす))に裁判所の裏書(目安裏書,目安裏判(うらはん))が与えられ,これが原告(訴訟人)の手によって相手方のもとに送達されると,相手方は目安の内容に対する反駁を書面に記して裁判所に提出しなければならない。…
…江戸幕府の民事裁判手続(出入筋(でいりすじ))において,原告(訴訟人)の提出した訴状(目安)に奉行所が裏書押印すること。目安裏書,訴状裏書などともいう。…
※「出入筋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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