褓負商(読み)ほふしょう

改訂新版 世界大百科事典 「褓負商」の意味・わかりやすい解説

褓負商 (ほふしょう)

朝鮮在来の行商人で,褓商(袱商とも書く)と負商の総称。負褓商ともいう。負商が穀物,乾魚や日用雑貨をチゲという運搬具にのせて売り歩いたのに対して,褓商のほうはやや高級な手工業品たる織物,衣服,帯紐,櫛等を褓(ふろしき)に入れて行商を行った。その起源は新羅時代にまでさかのぼると思われるが,彼らの活動が活発化するのは高麗末・李朝初期からであり,褓負商の起源を李朝の太祖李成桂と結び付けた伝説が残っているのもこのためである。16世紀末から17世紀前半にかけての日本,女真の侵略に際して,軍糧の確保・運搬に大きな役割を果たしたことから,政府庇護を受けるようになった。各地に任房(イムバン)という事務所を持った組合組織を作り,部内者の保護と部外者の抑圧に大きな力を振るったが,すべて政府の黙認下に置かれた。李朝末期の内憂外患に当たって,彼らの強大な組織力を政治的に利用せんとする意図から,政府は1866年に褓負庁を設け,興宣大院君の長男李載冕を庁理として,褓負商組織の統合と統制を図った。同年のフランス艦隊侵入(洋擾)に際してはその撃退に活躍し,以後,恵商公局(1883),商理局(1885),商務社(1899)と統制機関の名称はたびたび変更されたが,一貫して政府の統制下に置かれた。1898年に彼らの組織である皇国協会が,独立協会の運動を暴力的に粉砕した事件は有名である。1909年一進会に呼応して〈日韓併合〉を唱えた大韓商務組合も褓負商の組織であるが,〈併合〉の翌年に彼らの組織はすべて解散を命じられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「褓負商」の意味・わかりやすい解説

褓負商
ほふしょう
pobusang

負褓商ともいう。朝鮮で各地の市場を巡回する行商人をさす。おもに金属器,冠,笠,筆墨などやや高価な雑貨を取扱う褓商と木器,土器,草むしろなどやや安価な日用雑貨を取扱う負商の総称。その発生については諸説あるが,新羅統一期前後と考えられ,朝鮮王朝 (李朝) 時代に政府の公認を受け,組合をつくり,固い規律のもとに活発な商業活動を展開した。彼らは平常は商業に従事し,有事には運糧,偵察,通信などの軍務に献身した。朝鮮王朝末期にいたり政治団体に動員されることもあり,光武2 (1898) 年には守旧派皇国協会の行動隊として独立協会を襲撃し,その後は共進会と称し尊王改革を標榜,あるいは一進会と呼応して日韓合邦論を主張した。

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