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西都原古墳群 さいとばるこふんぐん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西都原古墳群
さいとばるこふんぐん

宮崎県西都市にある古墳群。東西約 2.5km,南北約 4kmにわたる洪積台地に大小約 330基の古墳が群集している。前方後円墳 32基,方墳1基,その他は円墳である。前方後円墳の男狭穂塚 (おさほづか) ,女狭穂塚 (めさほづか) はそれぞれ2重の隍 (からぼり) をめぐらし,前者は長さ約 220m,後者は約 175mある。

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デジタル大辞泉の解説

さいとばる‐こふんぐん【西都原古墳群】

宮崎県西都市の西都原にある4世紀後半から6世紀の古墳群。大小329基の古墳のうち前方後円墳32基、方墳1基で、ほかはすべて円墳。昭和27年(1952)特別史跡に指定。

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百科事典マイペディアの解説

西都原古墳群【さいとばるこふんぐん】

宮崎県西都市の洪積台地上にある古墳群(特別史跡)。〈風土記の丘〉と呼ばれる洪積台地上に前方後円墳,方墳,円墳など約330基の古墳が並ぶ。全長200m前後の男狭穂(おさほ)塚,女狭穂(めさほ)塚の両前方後円墳を除けば,総じて全長100m以下の小さなもの。
→関連項目西都[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

さいとばるこふんぐん【西都原古墳群】

宮崎県西都市にある古墳群。九州山地から派生する洪積台地のうえに,約330基が群在する。宮崎県知事有吉忠一が宮内省の許可のもとに調査を計画し,1912年から6年間,黒板勝美浜田耕作らによる合同調査が行われた。その発掘古墳数は30基にのぼる。古墳群は主として前方後円墳および円墳からなり,方墳や地下式横穴も若干確認されている。前方後円墳は32基を数え,このうち全長219m,後円部径128mの男(雄)狭穂塚(おさほづか),全長174m,後円部径97m,前方部幅106mの女(雌)狭穂塚(めさほづか)は,九州では卓越した規模を誇る。

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大辞林 第三版の解説

さいとばるこふんぐん【西都原古墳群】

宮崎県西都原にある大小約三三〇基からなる古墳群。三二基の前方後円墳を含み、五、六世紀の成立と推定される。特別史跡。

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国指定史跡ガイドの解説

さいとばるこふんぐん【西都原古墳群】


宮崎県西都市三宅にある5~7世紀ごろの古墳群。一ツ瀬川右岸に広がる古墳群は、日本最大級で300基を超え、墳丘を備えた古墳311基が現存する。その内訳は前方後円墳31基、方墳1基、円墳279基。ほかに横穴墓が10基、南九州特有の地下式横穴墓が12基確認されている。西都原古墳群は地形的に西都原台地上と、西都原台地と市街地との間に位置する中間台地上の2地域に区分され、さらに11の集団に分かれている。おもな古墳には男狭穂塚(おさほづか)・女狭穂塚(めさほづか)、姫塚、鬼の窟(おにのいわや)古墳などがある。男狭穂塚は、2重の周濠をめぐらし、全長約175m、後円部径約132m、後円部高さ約18mという日本最大の帆立貝形古墳。ニニギノミコトの陵墓として宮内庁陵墓参考地となっており、被葬者の埋葬施設は、未調査、未発掘である。女狭穂塚は、全長約180m、後円部径約96m、後円部高さ15mで周濠をもつ、九州地方最大の前方後円墳である。コノハナノサクヤビメの陵墓として宮内庁陵墓参考地となっており、被葬者の埋葬施設はまだ発掘調査がなされていないが、男狭穂塚・女狭穂塚ともに5世紀前半中頃の築造とされる。姫塚は姿の美しさからそう呼ばれる前方後円墳で、墳長50.2m、前方部幅30.8m、前方部高さ5.25m、後円部径28.4m、後円部高さ6m。周囲には周濠がめぐらされている。大正時代に発掘され、直刀3本、刀子(とうす)1本、須恵器(すえき)9個、ガラス製小玉、水晶製切り子玉などが出土し、築造年代は6世紀初頭(古墳時代後期)とされている。鬼が一夜で造りあげたという伝説をもつ鬼の窟古墳は、西都原古墳群のなかで唯一の横穴式石室をもつ直径36.4m、高さ7mの円墳。築造は6世紀末~7世紀初めと考えられている。石室内の水を排出する暗渠(あんきょ)の存在や土塁(外堤)が完全に古墳を一周していること、追葬が行われていたことなどが明らかとなっている。周囲に土塁をめぐらす古墳は、中国・朝鮮半島ではよくみられるが、国内では石舞台古墳にみられるだけで関係が注目される。1934年(昭和9)に国の史跡に指定され、1952年(昭和27)に特別史跡になり、数度の追加指定があった。西都原古墳群には数多くの出土品があるが、国宝に指定された金銅馬具類、重要文化財の埴輪(はにわ)子持家、埴輪舟などが有名。一帯は特別史跡公園西都原古墳群として整備され、西都原考古博物館、古代体験館などがある。JR日豊本線佐土原駅から車で約42分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西都原古墳群
さいとばるこふんぐん

宮崎県西都(さいと)市にある古墳群。東西2.6キロメートル、南北4.2キロメートルにわたる平坦(へいたん)な台地上に大小329基の古墳が群在する。このうち前方後円墳32基、方墳1基、ほかはすべて円墳である。1912年(大正1)から17年にかけて、時の宮崎県知事有吉忠一の提唱で、同県が主体となり、京大、東大、宮内省の諸学者により26基の古墳の発掘調査が行われた。皇祖発祥の地であることを立証するという目的は達せられなかったが、古墳の学術調査史上に一時期を画す大規模な調査であった。前方後円墳の規模としては全長35~90メートルのものが多く、外形は柄鏡(えかがみ)式、内部主体は粘土槨(ねんどかく)が多いが横穴式石室もあって、4世紀後半から6世紀にかけて営造されたものと推定される。出土遺物として著名なものに169号墳(円墳)出土の舟型埴輪(はにわ)、子持家型埴輪がある。群中とくに大きいのは陵墓参考地に指定されている男狭穂塚(おさほづか)(全長219メートル)と女狭穂塚(めさほづか)(179メートル)であり、この2基を除いて1952年(昭和27)特別史跡に指定され、現在は「西都原風土記(ふどき)の丘」として整備されている。[久保哲三]

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