明治政府最初の直属軍隊。〈御親兵〉と呼ばれた。明治新政府は1868年(明治1)2月にはじめて政府直属軍としての親兵を設置し,閏4月に各藩の献兵による京都警衛隊の制が定められたが,この制は翌年2月に廃止され,十津川郷士などの約400人の親兵を有したにすぎなかった。東京遷都後の皇居警衛には長州藩兵があたっていたが,70年12月山県有朋は鹿児島にいた西郷隆盛に薩・長・土3藩の献兵による親兵創設を説き,翌年2月,薩摩藩歩兵4大隊・砲隊4隊,長州藩歩兵3大隊,土佐藩歩兵2大隊・騎兵2小隊・砲隊2隊の献兵による親兵設置が令せられた。兵力1万と号したが実兵力は6000~8000人と推定されている。しかし,当時の日本最強の部隊であり,この兵力を背景に廃藩置県が断行された。指揮官は兵部卿が兼ねた。親兵は職業兵をもって編制されるものとし,徴兵令の立案に際してもその対象とされなかった。72年3月親兵を近衛と改称した。
執筆者:大江 志乃夫
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…旧陸軍で当初は天皇親衛軍として創設され,のちには陸軍の他の軍隊の任務のほかに宮闕警備の特別任務を負った軍隊。1872年(明治5)2月に近衛条例が制定され,親兵が近衛と改称された。各地の鎮台が陸軍卿の権内におかれた政府軍であるのとちがい,新設の近衛の総指揮官である近衛都督(初代山県有朋,2代西郷隆盛)は天皇に直隷した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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