親兵(読み)シンペイ

デジタル大辞泉 「親兵」の意味・読み・例文・類語

しん‐ぺい【親兵】

君主などの側近くに仕える兵。
御親兵ごしんぺい

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精選版 日本国語大辞典 「親兵」の意味・読み・例文・類語

しん‐ぺい【親兵】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 君主などの側近くに仕える兵。また、天子身辺を護衛する兵。
    1. [初出の実例]「敵等景季が武勇を見て惜むと云へども、守の親兵たるに依てしつ」(出典:今昔物語集(1120頃か)二五)
    2. [その他の文献]〔魏志‐張郃伝〕
  3. 江戸時代、文久三年(一八六三)三月、三条実美の建議によって設置された天皇護衛の兵。一〇万石以上の大名に命じ一万石に一人の割合で集めたが、同年九月解散。
  4. 明治四年(一八七一)二月、皇居守護のため編制した兵隊。翌年三月に近衛兵改称。→御親兵

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改訂新版 世界大百科事典 「親兵」の意味・わかりやすい解説

親兵 (しんぺい)

明治政府最初の直属軍隊。〈御親兵〉と呼ばれた。明治新政府は1868年(明治1)2月にはじめて政府直属軍としての親兵を設置し,閏4月に各藩の献兵による京都警衛隊の制が定められたが,この制は翌年2月に廃止され,十津川郷士などの約400人の親兵を有したにすぎなかった。東京遷都後の皇居警衛には長州藩兵があたっていたが,70年12月山県有朋は鹿児島にいた西郷隆盛に薩・長・土3藩の献兵による親兵創設を説き,翌年2月,薩摩藩歩兵4大隊・砲隊4隊,長州藩歩兵3大隊,土佐藩歩兵2大隊・騎兵2小隊・砲隊2隊の献兵による親兵設置が令せられた。兵力1万と号したが実兵力は6000~8000人と推定されている。しかし,当時の日本最強の部隊であり,この兵力を背景に廃藩置県が断行された。指揮官兵部卿が兼ねた。親兵は職業兵をもって編制されるものとし,徴兵令立案に際してもその対象とされなかった。72年3月親兵を近衛と改称した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「親兵」の意味・わかりやすい解説

親兵
しんぺい

皇居守護のために編成した兵隊。明治維新後、明治政府は1871年(明治4)2月に薩摩(さつま)、長州、土佐の各藩から藩兵を差し出させて初めて親兵(御親兵ともいう)と称する直轄軍隊を組織した。それは薩摩藩歩兵4大隊、砲兵4隊、長州藩歩兵3大隊、土佐藩歩兵2大隊、騎兵2小隊、砲兵2隊から編成され、総兵力約1万人であった。当初、兵部(ひょうぶ)省所管とされ、朝廷内帑金(ないどきん)10万両をその経費に加え、近衛兵(このえへい)としての基礎を確立した。1872年近衛兵と改称。

[纐纈 厚]

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普及版 字通 「親兵」の読み・字形・画数・意味

【親兵】しんぺい

近衛兵。

字通「親」の項目を見る

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旺文社日本史事典 三訂版 「親兵」の解説

親兵
しんぺい

明治初年,天皇直属の軍隊である近衛 (このえ) 兵の前身。御親兵ともいう。

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世界大百科事典(旧版)内の親兵の言及

【近衛】より

…旧陸軍で当初は天皇親衛軍として創設され,のちには陸軍の他の軍隊の任務のほかに宮闕警備の特別任務を負った軍隊。1872年(明治5)2月に近衛条例が制定され,親兵が近衛と改称された。各地の鎮台が陸軍卿の権内におかれた政府軍であるのとちがい,新設の近衛の総指揮官である近衛都督(初代山県有朋,2代西郷隆盛)は天皇に直隷した。…

※「親兵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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