国家が言語の統一と規準化などのために施す政策。言語を支えているのはその言語を母語としている民族である。しかし政治単位である国家と言語の担い手である民族とは必ずしも一致しない。そこで国家は統一を維持するために民族言語を規制しようとし,民族はこれに反発する。ここに言語紛争の根源がある。国家と民族言語の間には次のような関係がある。(1)1言語が多国家で用いられる場合 たとえばドイツ語はドイツ,オーストリア,スイスなどで公用語とされている。(2)1言語がある1国家だけで用いられる場合 日本語と日本,ノルウェー語とノルウェーにその例を見る。(3)多言語が1国家で話されている場合 旧ソ連,中国,旧ユーゴスラビアのような地域的広がりの比較的大きい国家に多い。大半の言語は(1)もしくは(3)の型に入り,(2)の例は珍しい。
例えば,旧ユーゴスラビアは言語的に複雑で,セルビア・クロアティア語,スロベニア語,マケドニア語が公用語としてそれぞれ用いられ,しかもスロベニア語とセルビア語はラテン文字で,クロアティア語とマケドニア語はキリル文字で表記されてきた。ほかにハンガリー語,トルコ語,スロバキア語,ブルガリア語,ルーマニア語が一部で話されている。このうち,前述の公用語とされている言語は旧ユーゴスラビアの中でのみ使用されている〈単一言語〉である。ロシアや中国はこの種の〈単一言語〉を数多くかかえているが,ほとんどが少数民族の言語である。そのような複合言語国家(多言語国家)では,常に多数民族と少数民族との間の言語調整が問題となる。もし放置しておくと,多数民族言語が少数民族言語を吸収してしまうおそれがある。例えば,アメリカにおけるアメリカ・インディアンの言語や日本におけるアイヌ語はいまや消滅の危機にさらされているし,かつて中国を256年にわたり支配した清王朝の言語である満州語も微少なまでに衰退してしまった。これは満州人が母語を中国語に取り替えたからで,その結果民族としても,いわば中国人に変身したことになる。しかし,イギリスにおけるウェールズ語やスペインでのバスク語のように,よくその本質を保持している例もある。この場合は民族言語が独立運動のよりどころとなることが多い。ために複合言語国家では少数民族言語の弾圧がよく行われた。たとえばスペインのフランコ政権はカタルニャ語による書物の出版を禁止していた。しかし旧ソ連や中国のような超大国家は,それぞれロシア語と中国語を共通語として強制的に国民に教育する反面,少数民族の言語を文化語として確立させるよう配慮してきた。旧ソ連の言語政策について,少し詳しく説明すると,旧ソ連内の少数民族は,まず民族言語の方言の中から標準語を設定し,これに正書法を与えて伝達と文芸の表現手段として活用するように助成された。たとえばチュルク系のウズベク共和国(現,ウズベキスタン)では1939年から,ウラル系のコミ自治共和国(現,コミ共和国)では1936年からキリル文字による民族言語の正書法が確立され,文典や辞書類が発刊されると共に学校でも教授されていた。ただし,エストニア,ラトビア,リトアニア,それにグルジアとアルメニア共和国のように,すでにラテン文字もしくは固有の言語文字の表記法を所有する共和国もある。だがそこでも民族言語による学校教育が主体をなしつつも,やはりロシア語が必須として課せられていた。例えば,エストニアでは,ソ連時代には初等教育の段階でロシア語は初めに週4.5時間,後に2.5時間が割り当てられ,エストニア語の方は中学と高校で週4.5時間教えられていた。
かつて強大な国家は植民地を支配するにあたり,自国の言語を被支配民族に押しつける政策をとってきた。インドにおける英語,インドシナにおけるフランス語,インドネシアにおけるオランダ語がそうである。しかし植民地が解放されて支配されていた民族が独立すると,自己の民族言語を公用語として定立させるように努力する。インドネシア共和国における公用語のインドネシア語はジャワのジャカルタを中心に発達したマレー語に基礎をおいたものである。フィリピンでは1937年にタガログ語が公用語として認められたのにもかかわらず,地方語の数が多いため,共通語としての英語の利用は衰えていない。179もの言語を内包するインドでは,有力な言語を中心に14もの公用語が定められているが,母語の異なる民族相互の伝達手段として,植民地時代の支配者言語である英語が共通公用語として用いられている(〈インド〉[言語]の項を参照されたい)。いずれの複合言語国家でも,圧倒的に有力な言語をもたない限り公用語の指定をめぐって構成民族間の紛争はつきものである。ただし,フィンランドのように,フィンランド語が全体の95%の言語人口を占めるのにもかかわらず,文化的な影響力をもっていたスウェーデン語も,フィンランド語とともに公用語として認められているといった例もある。
スイスのようにドイツ語,フランス語,イタリア語それにレト・ロマン語が公用語として比較的うまく共存している例もあるが,ベルギーではラテン系のワロン人とゲルマン系のフラマン人の間ですさまじい言語戦争が展開されている。ワロン人は人口の44%を占めフランス語を常用しているのに対し,フラマン人は55%の多数でオランダ語から派生したフラマン語を使っている。1831年の独立当初はフランス語を公用語に決めたが,フラマン人の猛烈な抵抗運動の末,フラマン語も公認されるにいたった。しかし両言語の社会的背景が異なるため,言語の攻防戦はいまだに継続されており,1993年には連邦国家に移行した。また,英語圏のカナダでもフランス語の人口の多いケベック州がフランス語のみを公用語とする独立運動を企てている。これらは異質言語間の闘争であるが,同質の言語内でも似たような競合が見られる。ノルウェーは1814年にデンマークの支配を脱して独立するにあたり,デンマーク語にノルウェー口語を混和させたリクスモールriksmålを作り上げた。ところがこれとは別に西部農村地帯の方言に立脚したランスモールlandsmålが組み立てられ,両者の間に言語の内戦が繰り返されている。現在でも,それぞれボクモールbokmål,ニューノルスクnynorskと名称を改め,相互に正書法を補正しながら,階級闘争まがいの勢力争いを続けている。
文化的に〈優位〉の言語は〈劣位〉の言語にさまざまな影響を与えるが,そのひとつに文字の借用がある。言語を表記する文字体系は,それが帰属する文化圏の種類を暗示している。この文字体系を変更することにより民族の自立に活力を与えた例としてトルコ語を挙げることができる。1928年ケマル・アタチュルクは文字改革を断行し,アラビア文字からラテン文字に切り替えることに成功した。モンゴル人民共和国は1944年に旧来の蒙古文字を捨ててロシア字母に基づく正書法を制定し,ハルハ方言(ハルハ語)を基礎とした新文章語を用いているが,1980年代末以降の民主化の過程で伝統の蒙古文字を復活させる動きがある(〈モンゴル〉の項参照)。中華人民共和国では北京語(北京方言)の普及運動に加えて,1956年より漢字体整理とラテン文字化を進めている。また朝鮮文字(ハングル)の場合は,朝鮮民主主義人民共和国では1954年よりすべてハングルによる表記が実行されるようになったが,韓国では漢字とハングルが併用されている。
異種の文字体系の矛盾に悩んでいるのは日本語である。日本は単一言語国家でありながら,国語の表記法をめぐって明治以来論争の絶えたことがない。これは表音的かな文字と表意的漢字の不調和によるものである。1946年になりようやく現代かなづかいと当用漢字が定められたが,これに対する不満はいまだに解消していない。
最後にいわゆる〈言語汚染〉の問題にふれておきたい。たとえば従来,フランス語はアカデミーの管理の下でその〈純潔性〉を誇っていたが,最近は英語からのdockingやnew lookのような外来語がふえてきて頭を悩ましている。同様の問題はヨコ文字のはんらんする日本語にもあてはまる。しかし,それを規制することは難しい問題もあって,たとえば戦時中の日本で,国民精神の高揚のため外来語を自国語の新造語に置き換え,パーマを淑髪としたような例も想起しなければならないだろう。また,文化的に〈優位〉な言語が〈劣位〉の言語に音声や語彙や統語の面で深い影響を与える言語干渉は,さまざまな言語の歴史の中に見いだされるかなり普遍的な現象であり,ときには相手側言語を圧倒し完全に入れ代わってしまうことさえある。ラテン語がケルト民族に受け入れられフランス語を作り出したのも一例である。この場合ケルト語を基層としてラテン語は大きく変貌した。要するに,それぞれの言語そのものに価値の優劣などないのだが,言語はこれを話す言語集団と運命を共にする。強大にもなれば衰亡することもある。
→言語[言語の変化] →国語国字問題
執筆者:小泉 保
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ある国の政府がその国民の言語を対象として実施する政策。あるいは、ある国またはなんらかの権力をもったものが、占領その他の形で支配している地域の住民の言語についてとる政策。
その目的としては、政治的統一・支配、教育の普及・向上、文化の保護、科学・技術の進歩、情報の伝達・処理の効率化など種々のものが考えられる。その内容には、公用語・標準語の制定・普及、文字改革、非識字者の解消、各種の分野における用語・用字の統一などから、方言や少数民族の言語を弾圧したり、あるいは保護したりということまで、これまたさまざまなものがある。
公用語の制定については、フィリピンのタガログ語、マレーシアにおけるマレー語など世界に多くの例がみられる。複数の言語が公用語として認められていることもある。スイスにおけるドイツ語、フランス語、イタリア語、ベルギーにおけるオランダ語(フラマン語)とフランス語などはよく知られている。国内にいくつかの少数民族がいる場合に、政府が、一方ではその国の主要な言語の教育・普及に努力しながら、他方それぞれの少数民族固有の言語の維持を助けていることもある。旧ソビエト連邦、中国がそうであるといわれている。文字・正書法についての政策の古典的なものとしては、1928年トルコにおいて実施された、それまで使われてきたアラビア文字をローマ字にかえた文字改革がある。
日本における言語政策としては、古くは第二次世界大戦以前の、主として義務教育を通して行われた標準語の普及などがあるが、その規模および現在の国民の生活への影響の大きさの点からいえば、戦後何回かにわたり実施された文字・表記に関するものをまず代表的なものとすべきであろう。すなわち、当用漢字、「現代かなづかい」の制定(1946)、「送りがなのつけ方」の指示(1959)、常用漢字の制定(1981)およびその改定(2010)などがそれである。
[南不二男]
『国語学会編『国語学大辞典』(1980・東京堂出版)』▽『千野栄一他著『国語国字問題』(『岩波講座 日本語3』1977・岩波書店)』▽『P・トラッドギル著、土田滋訳『言語と社会』(岩波新書)』
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