旧北陸街道沿いにあり、所在地は近世の
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福井県鯖江市にある真宗誠照寺派の本山。山号は上野山。いわゆる越前三門徒の一つで,越前真宗四本山の一つ。大町の如道の弟子道性(証誠寺開祖)の子といわれる鯖江の如覚が開祖。寺伝では,親鸞が留錫した車道場で帰依した上野庄の領主波多野景行が空然と号して開祖し,親鸞の子道性(益方入道),その子如覚と相承され,1305年(嘉元3)後二条天皇から〈真照寺〉と寺号を下賜されたという。1433年(永享5)の町屋敷寄進状,35年の野畠寄進状(同寺蔵)には真照寺の名でみえ,39年の寺屋敷並寺領施行状に誠照寺とあるから,このころ改号したと思われる。このほか,朝倉孝景壁書,織田信長朱印状などを蔵しており,1583年(天正11)の羽柴秀吉と柴田勝家の戦いに兵火を受けたが,秀吉の保護を受けて復興した。歴代清華家と猶子関係をもち僧正任官寺であり,1693年(元禄6)天台宗輪王寺に属して院家となる。1878年独立して誠照寺派本山となった。
執筆者:大桑 斉
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福井県鯖江(さばえ)市本町にある真宗誠照寺派本山。山号は上野山(うわのざん)。俗に鯖江御堂(みどう)という。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。寺伝によると、親鸞(しんらん)が北陸流罪(るざい)の途中この地に錫留(しゃくりゅう)。のち親鸞の第5子道性(どうしょう)が当地に住し、1279年(弘安2)その長子如覚(にょかく)とともに堂舎を現在地に建て真照寺(しんしょうじ)と称した。その後、1437年(永享9)誠照寺と改称し、後花園(ごはなぞの)天皇の勅願寺となる。一説には秘事法門を唱えた如道の弟子道性の子如覚の建立ともいう。第10世秀意のとき柴田勝家(しばたかついえ)にくみしたため、1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉の兵火により堂宇を焼失。第15世秀誠(しゅうじょう)に至り復興したが、1862年(文久2)火災を受けた。江戸時代には日光輪王寺(りんのうじ)の下で天台宗に属し、1878年(明治11)独立した。
[清水 乞]
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