鴻池善右衛門(読み)コウノイケゼンエモン

  • こうのいけぜんえもん ‥ゼンヱモン
  • こうのいけぜんえもん〔ゼンヱモン〕

百科事典マイペディアの解説

江戸時代の大坂の豪商鴻池家の当主の名。初代正成〔1608-1693〕は鴻池家の始祖山中新六の子で,尼子氏の武将山中鹿介の孫にあたると伝える。1650年より,酒造・運送業,1656年両替商を始め,十人両替ともなる。2代は喜右衛門を名乗ったが,3代宗利〔1667-1736〕以後は善右衛門を襲名。宗利の時,河内に鴻池新田を開発,諸藩の御用商人として活躍し,同家の基礎を固めた。1688年に鴻池家と取引のあった大名は32藩に及んだという。明治維新は10代幸富〔1841-1920〕の時で,鴻池家は維新後も大阪に設立されたほとんどの会社に関与,1877年設立の第十三国立銀行(1897年鴻池銀行三和銀行前身)を中心に関西財界の牛耳を執り,鴻池財閥と呼ばれたが,近代的コンツェルンの形成には至らなかった。

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世界大百科事典 第2版の解説

1608‐93(慶長13‐元禄6)
江戸時代以来の大坂の豪商鴻池家の初代。名は正成。祖父は尼子氏の武将山中鹿介幸盛と伝えられる。父新六は摂津国伊丹の鴻池村の大叔父山中信直に養われた。新六は長じて,酒の江戸への陸送清酒の製造を始めて成功した。善右衛門正成は新六の八男であって,次男善兵衛は1615年(元和1),三男又右衛門は17年に大坂に出て醸造を業とし,19年には新六も大坂に移った。25年(寛永2)正成18歳のとき大名貸を始め,また九条島において海運業を開始した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

江戸時代以来、大坂の豪商であった鴻池家当主の通称。初代善右衛門(正成(まさなり))は、始祖鴻池新六(しんろく)の八男であった。2代目の之宗(ゆきむね)は喜右衛門(きえもん)を名のったが、3代以降、代々善右衛門の名を継いだ。

[川上 雅]

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精選版 日本国語大辞典の解説

大坂の富商鴻池家の世襲名。初代善右衛門は海運業、醸造業を営み、さらに両替商を始めて、大名貸は尾州、紀州以下三二藩に及んだ。三代善右衛門宗利は河内の鴻池新田を開いた。一一代善右衛門は幕末維新に際し、会計官出納司に任ぜられ、新政府の財政基礎確立に尽力した。一二代善右衛門は明治三〇年(一八九七)鴻池銀行を創立し、のち信託業務も開設。昭和八年(一九三三)三十四銀行・山口銀行と合併して三和銀行となり、平成一四年(二〇〇二)東海銀行と合併、UFJ銀行となる。

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世界大百科事典内の鴻池善右衛門の言及

【鴻池新田】より

…1704年(宝永1)竣工した大和川付替工事の後に,旧川敷,沼沢地跡を開発して創出された30余の新田の一つ。河内国若江郡の北東隅(現,東大阪市)に位置している。大坂の豪商鴻池家の3代目善右衛門宗利の資力によって旧大和川支流(玉串川)の流末沼沢地の一部を干拓して造成した。町人請負新田の代表例とされている。開発経緯は,05年正月に地代金を上納,同年5月着工,鍬下年季年を経て07年8月に完成した。検地高870石3升8合,面積120町1反6歩であった。…

【御用達】より

…また幕府・諸藩は財政が困窮化するに伴い,しばしば彼らに御用金を課すなど財政的に依存することが多くなり,御用達のなかには幕府や諸藩の財政政策に深く関与する者も現れた。大名貸で活躍した大坂の鴻池善右衛門と江戸の三谷三九郎は,東西を代表する御用達と称された。寛政改革の際,江戸の豪商10名が幕府の勘定所御用達に登用されたが,彼らの財力と商業的手腕は以後の幕府経済政策に重要な役割を果たした。…

※「鴻池善右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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