資本論争(読み)しほんろんそう

改訂新版 世界大百科事典 「資本論争」の意味・わかりやすい解説

資本論争 (しほんろんそう)

過去の生産の成果である財の蓄積があることを条件として成り立つ生産を,資本を使用する生産という。道具,機械を用いる生産がその例である。また時間を要する生産も,生産過程を通じて生産物に加工される原材料と労働を養う生存資料の蓄積があらかじめなくてはならないから,やはり資本を使用する生産である。このような形態の生産について,資本とは何か,その量はどのように測られるか,利潤所得の根拠はどこにあるか,利潤の大きさは資本の使用とどのような関係があるか,などの問題について,D.リカード以来経済理論上の論争が絶えない。19世紀末のE.vonベーム・バウェルクとJ.B.クラークの論争,1920年代,30年代のF.vonハイエクとF.H.ナイトの論争はその例である。このような,資本を用いる生産にかかわる論争を資本論争という。

 最近の例は,第2次大戦後とくに50年代半ばから60年代終りにかけて,経済成長理論の発展に伴って生じた一連の論争である。それは主として,J.ロビンソンをはじめとするイングランドケンブリッジ大学の経済学者と,R.M.ソローをはじめとするアメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジマサチューセッツ工科大学の経済学者のあいだに交わされた論争であるため,ケンブリッジ(資本)論争Cambridge controversies in the theory of capitalと呼ばれる。

 それまでの数々の資本論争の再現ともいえるこの論争の根底には資本主義経済における生産と分配そして資本主義経済の発展自体を,どのような角度から分析するかについての対立がある。それは,いわゆる新古典派成長理論(経済成長)が資本主義経済を分析するための理論として妥当であるかをめぐる対立に明白に現れている。新古典派成長理論は,第1に将来についての期待はやがて裏切られるかもしれないという事実を無視して理論を構成する,第2に利潤は資本用役の価格であるとみなして分配理論を価格理論のうちに統合する,という二つの基本性格をもっている。これはL.ワルラスの伝統を受け継ぐものである。マサチューセッツ派は,統計によってとらえられる観察事実が説明されるという理由でその妥当性をいちおう認めるのに対して,イングランド派は,資本主義経済の仕組みが明らかにされないという理由でその妥当性をまったく認めない。新古典派成長理論をこのように批判するイングランド派には,期待の問題についてはJ.M.ケインズからの,そして分配の問題についてはリカードおよびK.マルクスからの直接の影響が認められる。

 蓄積されたさまざまな財の量を,資本を使用する生産というものの本質を表現するような単一の量に還元して測ることはできないかというリカードの,あるいはオーストリア学派の問題もケンブリッジ資本論争で再燃した。むしろこの論争はその問題に端を発しているといえる。論争を通じて,そのような資本量の指標を作ることができるのは,きわめて限られた条件のもとにおいてのみであることが明らかになった。この問題は資本理論の領域でしばしば考えられた問題であり,またマルクス主義者であるM.H.ドッブのように,このような指標を見いだしうることが新古典派分配理論成立の基本条件であるという見方をする学者もいる。たしかに,そのような指標があれば資本を使用する生産の分析は著しく簡単になる。しかしそのような指標は,新古典派の成長と分配の理論にとって不可欠の分析概念ではないことも,この論争を通じて明らかになったことである。

 ケンブリッジ資本論争は,たとえばさまざまな財の蓄積量が一つの集計量によって表されるための条件を求める資本集計の理論,資本蓄積が技術進歩の前提条件であるとする技術進歩のビンテージ理論,資本概念を用いない成長と分配の理論など,経済理論の内容を豊かにする展開を触発したとはいえ,経済理論を根本から変革するような結果をもたらすには至らなかった。イングランド派の積極理論も,たとえば利潤率は資本蓄積率と資本家の貯蓄率の比によって決定されるといういわゆる利潤率決定のケンブリッジ理論がそうであるように,新古典派成長理論の基本性格を脱却するものではなかったからである。しかし少なくとも,経済変動の分析方法について経済学者に深い反省を促した点は評価されなくてはならない。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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