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赤膚焼 あかはだやき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

赤膚焼
あかはだやき

奈良市五条町付近で産する陶器。赤膚山焼,五条焼ともいう。陶土は西の五条山 (赤膚山) から運ばれる。白い土質で,淡い赤みを帯びた灰白釉をかけ,京焼風の上絵付けをする。江戸時代初期には遠州七窯の一つに数えられた。生産は現代まで続いているが数次の断続があり,天保年間 (1830~44) の奥田木白 (もくはく) の作品が最もすぐれている。

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百科事典マイペディアの解説

赤膚焼【あかはだやき】

奈良市五条町の陶器。五条焼,尭山(ぎょうざん)焼とも。創業は天正説,享和説,遠州七窯説などあるが不明。江戸中期,柳沢尭山(郡山城主)のころ再興され,名工木白(もくはく)(柏屋武兵衛)〔1799-1870〕が出てから有名になった。

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大辞林 第三版の解説

あかはだやき【赤膚焼】

奈良市近郊の五条山(赤膚山)で作られる陶器。創始期は不明。江戸後期に郡山城主柳沢尭山(1753~1817)が再興し、天保年間(1830~1844)に名工木白もくはくが出て名高くなった。遠州七窯の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

赤膚焼
あかはだやき

奈良市五条町で焼かれた焼物。赤膚焼の名は、五条山の別名赤膚山に由来し、五条焼ともいう。遠州七窯(えんしゅうなながま)の一つ。奈良市西京丘陵地帯は古来焼物の盛んな地で、平安京の瓦(かわら)をはじめ、中世では春日神人(かすがじにん)の赤白土器座の土器、火鉢、また茶の湯創始以降は土風炉(どぶろ)(奈良風炉)の製作などがなされていた。赤膚焼はこうした地に、初め天明(てんめい)年間(1781~1789)に民窯(みんよう)として興り、1796年(寛政8)ごろに大和郡山(やまとこおりやま)藩主柳沢堯山(ぎょうざん)が京都から召した陶工伊之助、治兵衛に五条村赤膚山に開窯させ御用窯とし、のちふたたび民窯に戻った。天保(てんぽう)年間(1830~1844)に郡山の名工奥田木白(もくはく)が京焼の作風を取り入れ発展させた。赤膚焼は赤みがかった乳白色の素地をもち、能人形、奈良絵の色絵陶に優れた作品が多い。[矢部良明]

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事典 日本の地域ブランド・名産品の解説

赤膚焼[陶磁]
あかはだやき

近畿地方、奈良県の地域ブランド。
奈良市・大和郡山市で製作されている。小堀遠州の好んだ遠州七窯の一つに数えられる。大和五条山附近一帯の土は製陶の素材として適し、古くからの窯業地。土器火鉢などの製作が盛んにおこなわれていた。その後、安土桃山時代茶の湯がおこると、茶道具がつくられるようになった。乳白色のやわらかい風合いと奈良絵文様などが特徴。現在は、花瓶茶器水指など多様な作品がつくられている。奈良県伝統的工芸品。

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世界大百科事典内の赤膚焼の言及

【西ノ京】より

…秋篠川に沿い,薬師寺,唐招提寺,喜光寺,西大寺などがある。西方の西ノ京丘陵は,京都盆地西部から奈良盆地西部に南北につらなる丘陵で,五条山では江戸時代以来の赤膚(あかはだ)焼の陶器製作が行われている。西ノ京付近は古くより土器や瓦の生産地であり,興福寺大乗院に属した火鉢造座などがあり,近世,奈良風炉(ふろ)の産地として知られた。…

※「赤膚焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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