現代では差し歯下駄(げた)の歯の高いものをいうが、古くは下駄の総称。「足駄」は足下(あしした)あるいは足板(あしいた)の音便(おんびん)から出たとされている。かつては屐(げき)という語をあてて、これを「あしだ」と読んでいた。これは、平安時代には僧兵や民間の履き物であったし、中国では仙人の履き物ともされた。この履き物は室町時代になると一般化し、『七十一番職人歌合(うたあわせ)絵巻』のなかには、足駄つくりの絵がみられる。当初の形は、長円形の杉材の台に銀杏(いちょう)歯を差し込んだ露卯(ろぼう)下駄の高(たか)足駄か、歯の低い平(ひら)足駄であった。露卯下駄は歯の臍(ほぞ)(へそ)が台の上に出たものである。この形をしたものは、江戸末期まで地方文化の遺産として残った。江戸末期になると、江戸では差し歯の高い下駄を高下駄、歯の低いものと連歯(れんし)下駄を下駄といい、大坂では足駄の名前は廃れて、差し歯も連歯のものもすべて下駄というようになった。最近は、足駄は雨のときに履くので雨下駄といい、歯の低い差し歯物を日和(ひより)下駄といっているが、元来は江戸末期のころ、日中に履く庶民のものであった。現代洋装生活では履き物にも大変革が起こり、靴の時代になっている。
[遠藤 武]
下駄の一種。足の下に履く物を古代にアシシタと呼び,それがなまったもの。現在与論島など薩南の島々では下駄をアシジタという。高下駄や足桶,田下駄などをアシダというところがあり,東日本では,歯の高い差歯(さしば)の下駄(西日本では高下駄)をアシダ(足駄は当て字)と呼んでいる。足駄(高下駄)は鼻緒が前寄りにつけられ,引きずるように履くのではねが上がらず,道路の整備された近世以降は歩行用の履物となったが,中世では衣服が汚れないよう戸外での排便や水汲み,洗濯などに用いられた。奈良時代の山岳呪術者である役小角(えんのおづぬ)は,修行のときに足駄を履いたといわれ,山岳信仰の行者や祭礼での猿田彦神,天狗などが足駄や一本歯の高下駄を履いている。また,遊行(ゆぎよう)する僧が晴雨にかかわらず足駄を履いている姿が,《一遍聖絵》に見られる。
→下駄
執筆者:潮田 鉄雄
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