軟式野球(読み)ナンシキヤキュウ

デジタル大辞泉 「軟式野球」の意味・読み・例文・類語

なんしき‐やきゅう〔‐ヤキウ〕【軟式野球】

軟球を用いて行う野球。大正時代に日本で考案。

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精選版 日本国語大辞典 「軟式野球」の意味・読み・例文・類語

なんしき‐やきゅう‥ヤキウ【軟式野球】

  1. 〘 名詞 〙 軟球を用いて行なう野球。〔現代新語辞典(1931)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「軟式野球」の意味・わかりやすい解説

軟式野球
なんしきやきゅう

ゴム製ボールを使用する日本独特の野球。軟式野球は、日本の野球の発達に大きな影響を与えている。手軽に行うことのできる点が、普及にだいじな役割を果たした。

 1919年(大正8)に京都第一高等小学校教員の糸井浅次郎(いといあさじろう)(京都師範OB)が、少年のために危険の少ないスポンジボールを考案して、小学生の野球試合に使用したのが始まりで、簡単な施設と、安価なボールという好条件によって全国の小学校に広まった。その結果、少年野球は隆盛をきわめ、中等学校の野球のごとく全国大会が阪神でも東京でも開催される盛況となった。しかし、この少年野球の隆盛も1932年(昭和7)に文部省から発令された学生野球統制の訓令によって、宿泊を伴う試合が禁止され、少年野球の向上の道は閉ざされた。一方、少年野球の普及に伴い、1922年(大正11)ゴム製品製造元が青年用のゴム製野球ボールを開発した。これが端緒になって、少年に限らず一般の成年までが軟式野球をプレーするようになった。第二次世界大戦中生ゴムが物資統制令によって使用制限になったが、当時の厚生省は、軍需工場で働く「産業戦士」の「戦時生産意欲の向上と体力増強のため」に軟式ボールは必要、としてメーカーに生ゴムを特別に配給した。当時、野球は敵性スポーツとして弾圧されたにもかかわらず、軟式は日本製スポーツとみなされていたのである。しかし1943年(昭和18)10月に至って、第二次企業整備が発動され、軟式ボールの製造は中止のやむなきに至った。

 終戦を迎えると、学生野球も社会人野球もいまだ再建途上にあって、全国的統一組織の連盟も協会も結成をみないときに、早くも1946年8月に全日本軟式野球連盟が結成され、軟式野球界の統一が成し遂げられた。翌月の9月には日本体育協会(現、日本スポーツ協会)に加盟、同年の11月に挙行された第1回の国民体育大会では正式種目とされ、競技が行われた。

 1986年(昭和61)秋に全日本軟式野球連盟は、アマチュア野球団体の日本野球連盟(社会人)も日本学生野球協会も手をつけていなかった、元プロ野球選手のアマチュア復帰を認めることを決議したと発表した。すなわち、1987年2月から、プロ野球を退団後3年(2008年現在は1年)を経過した者をプレーヤーとして出場させることができる、としたのである。そして、元プロ選手の登録選手数はトップにランクされるA級チームが最高2人まで、B、C級チームは1人まで(2008年現在は2人まで)で、年齢40歳を超えた者は制限外とし、小学・中学・高校の3部に分かれる少年チーム(2008年現在は小学・中学のみ)には、監督およびコーチとして登録できることにした。連盟当局のこの決断は、アマチュア・スポーツへプロの参加をオープン化する世界的な流れに沿って、日本体育協会が1986年5月にスポーツ憲章を改訂して、プロ選手の登録を認めることにしたのが背景にある。

 全日本軟式野球連盟は一般(社会人)、少年(中学生)、学童(小学生)まで包含する団体で、2017年度(平成29)時点の、登録チームの数は、4万9301もある大世帯である。主催大会には、天皇賜杯全日本軟式野球大会、高松宮(たかまつのみや)賜杯全日本軟式野球大会、国民体育大会軟式野球競技会(以上、一般の部)、全日本少年軟式野球大会(少年の部)、高円宮(たかまどのみや)賜杯全日本学童軟式野球大会(学童の部)が、後援大会には、全国高等学校軟式野球選手権大会、全国高等学校定時制通信制軟式野球大会などがある。

[神田順治・全日本軟式野球連盟]

『名取幸一著『図解軟式野球ルール 改訂版』(1999・成美堂出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「軟式野球」の意味・わかりやすい解説

軟式野球 (なんしきやきゅう)
rubber-ball baseball

軟球(ゴム製ボール)を使用して行う野球。明治時代の初めアメリカから輸入された野球は,大正時代に入って青少年の間で普及したが,手軽にゲームをするときはテニスボールやスポンジボールなどが使われた。1918年糸井浅次郎と鈴鹿栄は正式の野球の指導に使える少年用のゴム製ボールの必要性を感じ,神戸の会社に試作を依頼,翌年,できあがったのが現在軟球といわれているボールであった。このボールの誕生をきっかけに少年野球が急激に盛んとなり,成人にも愛好されるようになった。1920年に神戸,26年に東京と相次いで少年野球協会が生まれ,29年におとなを対象とした日本軟式野球連盟が神戸で結成されると,同様の組織が続出した。しかし,38年にはゴム製ボールは配給制となり,軟式野球は下火にならざるをえなくなった。第2次大戦後の46年全日本軟式野球連盟Amateur Rubber-Ball Baseball Association of Japanが結成され,この年から毎年全日本大会を開催,また国民体育大会の正式種目になった。東アジアを中心に国際普及も進められており,また〈草野球〉と称して地域ごとの大会や同一企業内の対抗戦なども盛んに行われている。

 軟式野球のルールは硬式と変りないが,ボールのバウンドがよく,しかもバットで打ったとき硬球に比べボールの変形が著しく,いろいろな変化をおこすので,独特の技術を要する。また用具などは概して硬式よりは安価である。ボールの種類は,A号(一般用。直径71.5~72.5mm),B号(中学生用。69.5~70.5mm),C号(小学生用。67.5~68.5mm),D号(小学生低学年用。64.0~65.0mm)。このほかH号(直径71.5~72.5mm)があり,ボールは外周がゴム製,中には充てん物が入った準硬式で,社会人や高校,大学のクラブで使われている。なおA号~C号球に関してディンプル(ボール表面の凹凸)をなくした新球が,2006年より公認球に認定された。
野球
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百科事典マイペディア 「軟式野球」の意味・わかりやすい解説

軟式野球【なんしきやきゅう】

ゴム製のボールを使用する日本独特の野球。少年たちが硬式のボールで野球をするには腕,肩への負担が重すぎると考えた糸井浅次郎と鈴鹿栄は,1918年,少年用のゴム製ボールの試作を神戸の会社に依頼し,翌年完成。これが今日の〈軟球〉の始まり。以後,少年野球が急速に普及した。1920年に神戸,1926年には東京に少年野球協会が生まれた。この〈軟球〉は大人にも歓迎され,1929年には大人を対象にした日本軟式野球連盟が結成された。1946年には全国を統轄する全日本軟式野球連盟結成。全日本大会が行われるほか,国民体育大会正式種目。ルールは硬式野球とほとんど同じだが,ふつう試合は7回戦。
→関連項目社会人野球

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「軟式野球」の意味・わかりやすい解説

軟式野球
なんしきやきゅう

ゴム製ボールを用いて行なう日本独特の野球。 1919年糸井浅次郎,鈴鹿栄による軟式野球用ボールの開発を機に始まり,このボールを用いた少年野球が広まったのち,一般にも普及し 1930年神戸で日本軟式野球協会が結成された。その後も各地で協会の結成が相次ぎ,大会が開催され,1946年全日本軟式野球連盟の設立をみた。硬式野球と同じルールで行なわれる。

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