辛棄疾(読み)シンキシツ

デジタル大辞泉 「辛棄疾」の意味・読み・例文・類語

しん‐きしつ【辛棄疾】

[1140~1207]中国南宋詞人あざなは幼安、号は稼軒居士かけんこじ。歴城(山東省)の人。支配下武装蜂起参加。のち、南宋に下り、一貫して対金強硬策を主張した。激しく時事を嘆き、望郷の念を表現する作が多い。著「稼軒詞」など。

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精選版 日本国語大辞典 「辛棄疾」の意味・読み・例文・類語

しん‐きしつ【辛棄疾】

  1. 中国、南宋の政治家、文人。字(あざな)は幼安。号は稼軒居士。諡(おくりな)は忠敏。山東歴城の人。各地の知事、安撫使などを歴任朱熹親交があり、詩文、特に詞にすぐれ、蘇軾とともに「蘇辛」と称された。著に「稼軒詞」「稼軒長短句」。(一一四〇‐一二〇七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「辛棄疾」の意味・わかりやすい解説

辛棄疾
しんきしつ
(1140―1207)

中国、南宋(なんそう)の官僚文人、詞人。字(あざな)は幼安、号は稼軒(かけん)居士。歴城(山東省)の人。女真(じょしん)族の金の占領下に育ち、成人して武装蜂起(ほうき)に参加し、渡江して南宋に仕えた。江西の提点刑獄(地方法務長官)となって反乱鎮定に成功、また湖北湖南、江西、浙東(せっとう)などの安撫使(あんぶし)(軍政長官)を歴任、精強な軍隊(湖南飛虎軍)を創設するなど、積極的に活躍して名声があった。一貫して対金強硬策を主張し、朱熹(しゅき)(朱子)、陸游(りくゆう)などと共鳴して親交を結んだが、政府中央で消極策が主流を占めたため、晩年は鉛山(江西省)に隠居した。歌辞文芸「詞」の作家としても有名であり、600余首という宋代でもっとも多い作品を残している。慷慨(こうがい)憂憤の作が多く、北宋の蘇軾(そしょく)(東坡(とうば))と並べて蘇辛豪放派などとよばれるが、叙情的な傑作も少なくない。詞集は『稼軒長短句』12巻または『稼軒詞』4巻。年代順に整理して注を加えた鄧広銘(とうこうめい)の『稼軒詞編年箋注(せんちゅう)』(1957)、鄧氏編『稼軒詩文鈔存』がある。

[村上哲見]

『中田勇次郎著『漢詩大系24 歴代名詞選』(1965・集英社)』『村上哲見著『中国詩文選21 宋詞』(1973・筑摩書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「辛棄疾」の意味・わかりやすい解説

辛棄疾 (しんきしつ)
Xīn Qì jí
生没年:1140-1207

中国,南宋の政治家,詞人。字は幼安,号は稼軒。山東省歴城の人。女真族の金の支配下に育ち,武装蜂起に参加,渡江して南宋に仕え(23歳),江西提点刑獄(地方法務長官)となって茶商の乱を平定(36歳),湖北,江西,湖南,福建,浙東など各地の安撫使(軍政長官)を歴任,新たに精鋭部隊(湖南飛虎軍)を編成するなど,積極的に活躍して名声があった。一貫して対金主戦論を唱え,そのためしばしば失脚もしたが,朱熹,陸游などと共鳴し,親交があった。当時流行の歌辞文芸,の作家としても有名,600首以上の作品を残しているのは宋人の中で最多。慷慨憂憤の作が多く,北宋の蘇軾(そしよく)(東坡)と並べて蘇辛豪放派などと呼ばれるが,隠棲中の作などは感傷的な作品も少なくはない。詞集は《稼軒長短句》12巻または《稼軒詞》4巻,鄧広銘《稼軒詞編年箋注》がある。詩文集は鄧氏による輯本《稼軒詩文鈔存》。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辛棄疾」の意味・わかりやすい解説

辛棄疾
しんきしつ
Xin Qi-ji

[生]紹興10(1140)
[没]開禧3(1207)
中国,南宋の詞人,政治家。済南歴城 (山東省) の人。字,幼安。号,稼軒。金の支配下に育ったが,耿京 (こうけい) が抗金の兵をあげるとその下に入り,耿京の死後正式に南宋に仕え,孝宗に認められた。湖北,湖南,江西の安撫使を歴任,淳煕9 (1182) 年中傷されて約 10年在野生活をおくり,その後も主戦論を唱えて起用と下野を繰返し浙東安撫使で終った。号の稼軒はその退隠時の住居の名であるとともに,農業を重んじ商工業を軽視する彼の思想を表わす。詞人としては蘇軾の流れをひき,「豪放派」の代表的作家であるが,一方農村風景の描写や,こまやかな情緒の表現にも非凡の才をもち,北宋の柳永,周邦彦,南宋の姜 夔 (きょうき) と並んで「四大詞人」と称される。詞集を『稼軒詞』といい,ほかに『窃憤録』『南渡録』などの著がある。

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百科事典マイペディア 「辛棄疾」の意味・わかりやすい解説

辛棄疾【しんきしつ】

中国,南宋の詞人,文臣。歴城(山東省)の人。号は稼軒。の支配下に生まれたが,南宋で仕官し,郷兵の雄である湖南飛虎軍の創設に尽くした。長短句()の名手で,詞風は豪放。時事をよみこんだ作が多い。詞集《稼軒長短句》など。

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世界大百科事典(旧版)内の辛棄疾の言及

【詞】より

…音楽に通じ,したがって韻律も精密で,後世〈詞家の正宗〉と尊重される。南宋になると,対金戦争に活躍した辛棄疾(しんきしつ)(《稼軒詞》)のような〈豪放派〉と呼ばれる詞人もいるが,姜夔(きようき)(《白石道人歌曲》),呉文英(《夢窓甲乙丙丁稿》),さらに宋末では周密(《草窓詞》),張炎(《山中白雲詞》)などが周邦彦のあとを受け,精巧で典雅な詞をひろめた。これらの詞人は北宋の文人官僚とは異なり,もっぱら詩文書画などの文事だけで世に重んじられる特殊な階層で,詞はこうした文人たちによってひたすらに洗練される。…

【中国文学】より

…一方では北宋の蘇軾(そしよく)のごとく,余技として詩余を作りつつ,その内容をひろげ,古典詩に近づけた人があった。南宋の辛棄疾(しんきしつ)も熱烈な愛国の情をこのジャンルでうたい,悲壮なひびきをもたせた。しかし彼らの作はやはり例外的であり,詩余の歌曲のメロディはおそらく,やるせない悲しみをうたうのに最も適していたと思われる。…

※「辛棄疾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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