ヨーロッパ中世に典型的に見られる共同体的土地制度。石垣,生垣,溝などの恒常的仕切りによる〈囲込みenclosure〉を認めず,個々の農家の所有する耕地を〈開放された状態open〉に保つことによって,村落共同体による耕作規制の徹底を図ったために,このように呼ばれる。
村域内部の耕地は,それぞれが一団をなす耕区と呼ばれる複数の単位に編成され,そのおのおのの内部で共同体成員が原則として平等な土地配分を受ける。おのおのに配分された地片は地条stripと呼ばれるが,ヨーロッパ中世に典型的な重量犂が用いられる場合には,地条は中央部が盛り上がった細長い帯形を呈し,隣接地条とは土地の凹凸によって区分されるのみであった。個々の農家に属する耕地は,耕区の数と同じく,時には30枚にも及ぶ多数の地条として村域全体に散在し,他の共同体成員の耕地と混じり合っていて,農業生活の集団的運営に組み込まれていた。開放耕地においては,穀作と牧畜とを有機的に結びつけた輪作が,耕区を単位として村落共同体によって行われ,典型的には三圃制をつくり出していた。そこでは,収穫後の耕地は共同の家畜群による放牧地として利用されたから,長い休閑期も含めて,共同体成員が自己の耕地を排他的に利用できる期間は,それを共同体的用益にゆだねる期間よりも短かった。この点で開放耕地は,同じ村域の中で,私的所有と個別的用益の対象である屋敷地・庭畑地とは異なり,また共同体的所有・集団的用益(アルメンデ)の対象である森林・荒蕪地とも異なって,その中間をなし,私的・個別的内実と共同体的外枠という村落共同体の性格をきわめてよく表現している。ここでは,個々の農業経営の自由な展開の余地は小さいが,農民はこの制度によって,村域のあらゆる場所の利用に参加することができ,自然災害などを一身に受ける危険からも免れていた。開放耕地制度がきわめて古い時期から普及していたという学説は,現在では否定され,人口増加によって相対的に不足しがちになった耕地を,共同体の統制のもとになるべく合理的に利用する必要が強まった中世盛期が,その確立期と考えられている。当時この制度は,ロアール・ライン間地域をはじめ,ヨーロッパの主要な平野地帯に広く普及していた。しかし,中世末期以降,商業的農業の展開に伴って,耕地の個別的利用への要求が高まり,農民間の交換分合や土地所有者による農民追放などを通じて〈囲込み〉が進行し,この制度は村落共同体とともに基本的には消滅することになる。
執筆者:森本 芳樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世から近世にかけて、ヨーロッパの平野部集村地方で支配的であった農地制度。村の共同耕地(耕圃(こうほ))を構成するいくつかの耕区は、それぞれ各農民の持ち分に属する耕地片の集合体で、共同耕地全体としては保有地は複雑に混在している(混在地制)が、同一耕区内の保有地の間には生け垣、柵(さく)などの仕切りがなく、一続きで開放されていた。耕区の形状には、南フランスやイタリアに普及していたようなパズル状の不規則開放耕地もあったが、典型的にはロアール川とドナウ川の北方、およびイングランドの大部分の地方にみられたような、細長い帯状の地条が規則的に並ぶ長形開放耕地であった。このような耕地の型の相違は、犂(すき)の型の相違にも対応する。三圃農法と強固な共同体慣行が発展した北方では、重く湿った土壌に適合した、何頭もの家畜によって牽引(けんいん)される大型の有輪犂が出現するが、この犂の隊列は簡単に方向転換できないところから、極端に細長い長形の耕地が要求された。これに対し、伝統的に二圃制が維持され、軽量な無輪犂で土地を浅く耕していた地中海地方では、耕地は正方形に近づき、畦(あぜ)の方向を変えたり、交差させることもできた。三圃制であれ二圃制であれ、休作中の耕圃や収穫後の耕圃は、村の伝統的慣行に従って、農民の家畜(その割当て頭数は保有地面積が基準)の共同放牧にゆだねられ、家畜の糞尿(ふんにょう)によって自然に地味が回復された。このように、開放耕地制度は、家畜を利用して穀物生産を行うヨーロッパ特有の混合農業ないし有畜農業の伝統に適合したものであった。しかし家畜の放牧には共同耕地だけでは不十分なところから、森林、原野などの共同地内の牧草地も放牧にあてられた。
農業の共同化については、領主を含めて、村の全共同体成員の間で恒常的な取決めが必要とされた。それというのも、領主の直営地も地条として、農民が保有する地条の間に混在する場合が多かったからである。農業共同体としての村の慣行(掟(おきて))は、共同放牧以外にも、耕圃や耕区の境界設定、作物の種類や収穫の時期の統制(いわゆる「耕作強制」)、あるいは共同地におけるさまざまな用益権など、広い範囲に及んだ。
[井上泰男]
『M・M・ポスタン著、保坂栄一・佐藤伊久男訳『中世の経済と社会』(1983・未来社)』▽『マルク・ブロック著、河野健二・飯沼二郎訳『フランス農村史の基本性格』(1959・創文社)』▽『ゲオルグ・フォン・ベロウ著、堀米庸三訳『ドイツ中世農業史』(1955・創文社)』
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…村道の四つ辻や小高い丘にある祠堂に季節の花を供える素朴な農民の姿,〈五月の樹〉を中心に豊作を祈って若い男女が輪になって踊る楽しいダンスなどは,中世そのままに,今もなお各地で見ることができる。 近代化の波が村落の景観を変えたところが多いが,集村はもともと前述のように,家屋敷と菜園地,各戸の持分が整然たる地条をなして混在するいくつかの開放耕区(開放耕地制度),森林,牧草地,荒蕪地などの入会地から成る農民生活の共同の場であり単位であった。そうした村境域全体の面積は,地形によって違うにせよ,平野部の古い〈むら〉では,その考古学的考証から推定して,ほぼ20km2前後のひろがりであったように思われる。…
※「開放耕地制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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