藤原定家(ていか)の歌論書。元来1209年(承元3)将軍源実朝(さねとも)の求めに応じて書き贈ったもの(遣送本(けんそうぼん))。本文は消息体で詠歌の心得を説き、末尾に秀歌例を付す。歌論の要点は初めに紀貫之(きのつらゆき)以来の和歌史批判を通して源経信(つねのぶ)、源俊頼(としより)らいわゆる近代六歌仙の革新や若き日の定家らの新風の根拠を明らかにし、かつ「寛平(かんぴょう)以往」(六歌仙時代)の在原業平(ありわらのなりひら)、小野小町にみられる「余情妖艶(ようえん)の体」を理想とせよといい、そのための方法として「本歌取(ほんかどり)」論を展開する。例歌は当初近代六歌仙のもの計20余首であったが、のちに『二十四代集』(定家八代抄)からの80余首と差し替え(自筆本が現存する)、また遣送本と、それとの中間もしくは合成形態とみられるものや、その他の系統の諸本がある。定家歌論の眼目の書。
[福田秀一]
『藤平春男他校注・訳『日本古典文学全集50 歌論集』(1975・小学館)』▽『福田秀一他編『鑑賞日本古典文学24 中世評論集』(1976・角川書店)』
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歌論書。藤原定家が1209年(承元3)将軍源実朝の依頼で執筆。歌論部は《古今集》の序をふまえた和歌史批判と,その帰結としての作歌理念・表現方法論に分かれ,宇多朝(9世紀末)以前の古歌の尊重,余情・妖艶体の摂取,本歌取り技法による詩情の更新などの立場が提唱されている。巻末秀歌例に近代六歌仙の和歌を引いた初撰の遣送本と,後年,秀歌例を《八代抄》抄出歌にさしかえた自筆本の2系統がある。
執筆者:近藤 潤一
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…その精神性は〈摩訶止観〉から学んだものであることは,俊成自身が言明しているところである。 俊成の子藤原定家は,《近代秀歌》《詠歌大概》《毎月抄》等の歌論を書いて,俊成の歌論を一歩推し進めた。〈詞(ことば)は古きを慕ひ,心は新しきを求め,及ばぬ高き姿をねがひて〉(《近代秀歌》),〈まづ心深く,長(たけ)高く,巧みに,詞の外まで余れるやうにて,姿気高く,詞なべて続け難きがしかもやすらかに聞ゆるやうにて,おもしろく,かすかなる景趣たち添ひて面影ただならず,けしきはさるから心もそぞろかぬ歌にて侍り〉(《毎月抄》)とあるように,高さや深さという内面性をいっそう重んじている点が注目されるのである。…
…それぞれの個性は明白であるが,共通の特色は真率(しんそつ)でわかりやすく,技巧が少なく,この人々によって和歌史上の一時期が形成された9世紀後半は〈六歌仙時代〉といわれる。技巧が少ないことはかえって内容の充実を意味し,藤原定家はその著《近代秀歌》に〈詞は古きをしたひ,心は新しきを求め,及ばぬ高き姿をねがひて,寛平以往の歌にならはば,おのづからよろしきこともなどか侍らざらむ〉と注意すべき見解を述べている。〈寛平以往の歌〉とは六歌仙を意味する。…
※「近代秀歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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