通法寺跡(読み)つうほうじあと

日本歴史地名大系 「通法寺跡」の解説

通法寺跡
つうほうじあと

[現在地名]羽曳野市通法寺

壺井つぼい八幡宮南方にあり、寺跡は国指定史跡。石丸山と号し、真言宗大和長谷寺末、本尊阿弥陀如来(河内名所図会)中世には壺井八幡宮別当寺(神宮寺)で社僧が社務を兼ねており、八幡宮と一体の動きをした。通法寺興廃記(増本家蔵)によれば、長久四年(一〇四三)九月、源頼義が狩猟の途次仁海にんかい谷で入手した千手観音像を本尊とし、居館南側に観音堂を建立したのが当寺の始まりと伝え、摂津多田ただ(現兵庫県川西市多田神社)と源満仲の関係に類似しているが、草創が右の時期までさかのぼるか否かは不詳。元暦元年(一一八四)一一月三日の平頼盛宛源頼朝書状(通法寺及壺井八幡宮文書)に「河内国古市郡内壺井堂通法寺」とあるが、これは偽文書とする説が有力で、また年未詳源義経証判通法寺愁状(同文書)に「壺井御堂通法寺者、故伊与入道殿御願」とあるが、これも偽文書と推定する説が有力。確実な史料では、建治元年(一二七五)一二月二四日の六波羅下文(高木文書)に「河内国通法寺事」として「右、当寺者、伊予入道(源頼義)殿御建立之道場、将軍家御帰依之霊地也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「通法寺跡」の解説

つうほうじあと【通法寺跡】


大阪府羽曳野(はびきの)市通法寺にある寺院跡。石川中流域の低い丘陵の南麓に位置し、前面には御廟谷の丘陵がある。境内の西端には源頼義(よりよし)の墓、御廟谷の丘陵上には源頼信(よりのぶ)と源義家(よしいえ)の墓がある。北隣の丘陵上には源氏氏神を祀る壺井八幡宮があり、一帯河内源氏の発祥地である。河内源氏の歴史を伝える遺跡として、1957年(昭和32)に国の史跡に指定された。通法寺は1043年(長久4)、河内国司であった源頼義が建立したものであるが、源氏の没落とともに衰退。天正年間(1573~92年)に寺は焼け、江戸時代にはすでに姿を失いかけていたが、5代将軍徳川綱吉が本堂や観音堂を再興。しかし、1873年(明治6)に廃寺となり、伽藍(がらん)はことごとく荒廃し、今ではわずかに山門と石垣と鐘楼を残すのみとなっている。近畿日本鉄道南大阪線上ノ太子駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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