造像銘あるいは造像銘記,略して単に銘文ともいう。仏像を例にとれば,その造像の由来を記した銘文をいう。まずその記銘の表現形式によって陰刻銘,陽刻銘,針書銘,搔落銘,それに墨書銘,朱書銘,漆書銘などの別がある。これらは造像の素材の種類に関係し,材質によく適合し,かつ恒久性を有するものが選択されている。次に記銘の内容によって造像銘,修理銘,願主銘,作者銘などに分けられるが,その内容をさらに細かく分別すると,像主名(尊像名),造立願文(経緯,趣旨),讃嘆文(名号,経文,偈頌,真言,陀羅尼),願主名,施主結縁者名,作者名,造立紀年銘などである。しかしこれらの内容をすべて備えるものは少なく,むしろこのうちの幾つかの項目を記銘する場合が多い。記銘の順序も必ずしも一定ではない。
記銘の場所は,仏像自体に直接行うもの,あるいは台座や光背などに行うものなどがある。前者では金銅仏や鉄仏などではその背面に銘文を陰刻,陽刻するもの,木彫仏では同じく墨書,漆書するものなどがある。後者は光背の裏面,台座(蓮弁蓮肉部,蓮弁,框(かまち)座)の表裏などに行う。これらはいずれも一応その外観から看取される例であるが,これ以外には,仏像の像内に銘文が記される場合がある。座像では底部より容易にこれを見ることができるものもあるが,像底がふさがれていたり,また立像の場合などでは,像内を望むことはまったく不可能である。しかしたまたま修理のときなど予想外にこれを知りうることもある。また古くから仏像の像内に数多くの品々を納入するならわしがあり(胎内納入品),この納入品によって先述のいろいろなことがらが判明する場合も多々ある。また純然たる造像銘札を納入する例がある。
このほかに造像記に準ずるものとして,木仏裏書と称する文書が仏像に添えられる場合がある。本願寺などで各末寺等へ本尊として木仏,絵像を下付するとき,小さな紙切れに〈方便法身尊形〉と記し,該寺号,願主,施主,年銘,それに門主署名花押等が記してある。これによって像の時代,所在,願主が判明する。これら造像記は仏像を研究するうえで貴重な傍証資料となり,その意義は大きい。
造像記の起源は明確を欠く。しかしその萌芽は現存するインドの石造遺物,石仏などにみることができる。例えばバールフット欄楯(らんじゆん)柱にみえる円相の仏伝図の上下にブラーフミー文字で図柄の説明,物語の情景描写などを刻んでおり,また一本一本の柱や貫(ぬき)などにそれぞれ寄進者名や誰への功徳のためにという銘文が刻まれている。これらは紀元前2世紀の作品である。また,マトゥラー出土の2世紀ころの仏像や菩薩像の台座などにも,尊名のほかに同趣の刻銘がある。近年マトゥラーで発見された阿弥陀仏の台座は,クシャーナ暦28年(前156年に比定される)雨期第2月の第26日にこれを造像したこと,またその寄進者名も記している。これなどは造像銘記としての体裁を立派に備えている。インドでは1世紀ころには造像記はすでに成立していたと考えられよう。
中国では六朝時代の金銅仏や石仏の光背,台座に銘文が多く刻まれており,竜門や鞏県などの石窟寺院にみる造像銘は名高い。日本では623年(推古31)に聖徳太子の病気平癒を祈って鞍作止利によって造られた,太子と等身といわれる法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘が最も古いとされる。以来金銅仏,石仏,木彫仏,鉄仏などに枚挙にいとまないほどに,造像銘を有する作品が数多く発見されている。
→胎内文書
執筆者:光森 正士
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…一方,北朝は非漢民族が華北に立てた征服王朝であるから,漢文化の影響を受けたとはいえ,北族固有の気風が反映して,健勁雄渾な書風にその特色を発揮した。北朝の書の中で最も重要な位置を占めるのは,造像記,磨崖,墓誌,碑などの石刻資料であり,世に北碑と総称されている。このうち,造像記として最も有名なのは河南省洛陽市の南約13kmの地点にある竜門石窟のそれである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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