改訂新版 世界大百科事典 「過疎過密」の意味・わかりやすい解説
過疎・過密 (かそかみつ)
過疎・過密は人口の圧倒的な偏在によって生ずる現象である。日本では1960年以降に社会問題としてクローズアップされた。
農山漁村の人口が他産業への就職機会を求めて都市へ流動するのは,近代資本主義の成立にともなって生まれた現象である。先進諸国に共通してみられ,アイルランドやイタリアなどの農民が大挙してアメリカへ渡った移民の歴史も,そのひとこまであったといえる。日本では,明治近代国家成立以後も,共同体社会の農村と近代資本主義社会の都市とを併存させた二重構造の近代化が進められたため,第2次大戦直後までは農村から都市への人口流動は比較的緩慢であった。しかし60年代にいたって,経済の飛躍的な成長は労働力需要を急激に増大させ,農村から都市への雪崩現象的な人口集中がはじまった。農業センサスで1960年と65年の農業就業人口を比較してみると,この5年間に約300万人,20%強の農業就業人口の減少がみられ,その大部分は都市へ流出したものであった。〈民族移動〉という比喩で説明されたほどの激しい流出によってつくりだされた地域人口の圧倒的な集積と偏在が,農村と都市のいずれの側にも住民生活のうえで多くの困難と矛盾を生み,過疎・過密と呼ばれる状況としてクローズアップされた。
〈過疎〉の農山漁村においては,教育,保健,防災などの地域社会の基礎的条件の維持も困難になり,また農地や山林などの資源の合理的な利用による地域社会の生産機能も低下し,さらには人口減少にともなう地域年齢構成の老齢化も進み,一定の生活水準と従来の生活パターンの維持も困難になる〈過疎問題〉が生まれた。〈過密〉の大都市圏においては,小学校の校舎などの公共施設の不足,住宅難,通勤地獄,大気汚染などで都市機能の低下と住民生活の環境悪化が進み,犯罪の増加,交通事故などの災害を激化させ,都市住民の生活に心理的,肉体的なさまざまなひずみをもたらす〈過密問題〉が生まれた。この過疎・過密問題には,農山漁村での食糧自給率の急激な低下や挙家離村による国土の荒廃,大都市圏での地価の暴騰や都市公害の激化なども包含されており,戦後の経済発展のなかで生まれた特筆に値する恐るべき遺産が〈過疎・過密〉という現象であったといえる。
こうした状況に対し,70年公布の過疎地域対策緊急措置法や,それにかわって80年に公布された過疎地域振興特別措置法,さらにそれにかわった90年公布の過疎地域活性化特別措置法にもとづいて補助金の特例を設ける等の措置がとられてきた。70年代には行政上の対策とは別に,環境を見直す発想が生まれてくる。それにともない農村側からは地方文化の見直しや〈田舎再建運動〉(島根県)などが提起され,また経済が安定成長期にはいったこともあって,都市から地方都市や農村へ人口が還流する〈Uターン現象〉もあらわれ,地域人口変動はようやく転換期を迎えた。これは,中央集権型の近代化から地域経済社会の発展に力点を移した,新たな近代化のはじまりとしてとらえることができる。一方,大都市圏においても,顕著に環境重視志向が強まり,公害反対運動や日照権を守る運動などの住民運動が活発化した。それに呼応して自治体行政も宅地開発指導要綱やマンション規制(集合住宅建設指導要綱)などを制定し,住宅団地建設に対する規制を強めるとともに都市緑地の確保に努め,人口抑制による快適な生活環境を備えた都市づくりへと,都市施策の重点が移されていった。人間不在の都市づくりから脱却した,新たな都市づくりのスタートとして評価できる現象であった。
→都市問題
執筆者:薄井 清
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報