防災という言葉は,今日では一般的に用いられるようになってきており,また防災訓練,防災会議,地域防災計画,自主防災組織,防災広場,防災拠点,防災公園,防災施設,防災都市計画,防災建築街区造成法など防災が含まれた術語も相当増えてきている。そして一般には,〈防災〉とは〈災害を防ぐこと〉と理解されている。しかし,〈災害〉という言葉は英語でdisasterというように〈悪い星〉とか〈悪魔の星〉を表しているわけで,人間の力ではどうしようもない事態や,人間の知恵の及ばないような悪い事態が起こることをいっている。このことは災害とは人間が防ぎえないものをいっているわけであるから,防災を単純に災害を防ぐことと考えることは語源的に正しくない。少し正確に表現するならば,〈災害によって生ずる被害を少なくする〉とか,〈被害が拡大化するのを防ぐ〉となろう。
今日,防災の対象としている災害はきわめて広範である。地震,火山噴火,雷,暴風,洪水,凶冷,干ばつ,豪雪などによる自然災害,工業の発達や近代技術によってもたらされた大気汚染,水質汚濁,地盤沈下,工場災害,交通災害,火災などの人為的災害,さらには都市が高密度でかつ高い有機的関連性をもったために起こる都市災害やシステム災害と呼ばれるものまで含まれている。昔の人間社会は自然との関係も含めて素朴な状態であったが,今日のように高度化された社会になると人体でいえば血管などエネルギー系に当たる水道,電力,ガスなどのライフラインや,神経系に当たる情報通信網などによって支えられているため,それらの中断により機能麻痺を起こし,あたかも高等動物の中枢神経麻痺のような状態を起こすわけで,災害の様子も時代とともに変化している。
このような広範な災害現象を対象とするため,防災は概念が定義しにくく,言葉自体は古くからあったが,社会的に認められ用いられるようになったのは近年である。昔は〈防〉の字を冠する場合は目的がはっきりしている場合で,防風,防火,防水,防砂,防潮などのような形で用いられていた。都市の市街地大火を防ぐという意味で都市防火という用語は古くからあったが,都市防災という言葉が使われはじめたのは1959年9月の伊勢湾台風の大災害の後であり,わりあい新しい。伊勢湾台風のような被害を減らすためには,防風,防水,防潮などいろいろな局面での対策が必要で,それらを総括して都市防災という言葉が生まれてきたようである。現在,災害に強い都市のことを防災都市と呼んでいるが,それに類似した言葉では,第2次大戦中,空からの襲撃に対して強い都市という言葉で防空都市という言葉があった。出版物に〈防災〉という言葉が使われるようになったのは,1935年に岩波書店から出された《普及講座・防災科学》全6巻が最初であった。これは1923年の関東大震災以後,大災害に対する関心が高まっていたところにたて続けに大災害--とくに34年の室戸台風の被害や同じ年に起こった函館市の大火はその顕著な例である--が起こり,一般の人たちの災害に対する関心が高まっていた時期であった。関西に財団法人災害科学研究所が設立されたのもこの時期で35年である。
伊勢湾台風は,名古屋市ゼロメートル地帯を中心に大きな被害を与え,死者・行方不明5000人以上という未曾有の災害となり,これを契機に災害対策基本法制定の運びとなった。災害対策基本法は61年11月に公布されたが,その2条2項に防災の定義がなされている。すなわち〈災害を未然に防止し,災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ,及び災害の復旧を図ることをいう〉とある。そしてこの場合の災害とは〈暴風,豪雨,豪雪,洪水,高潮,地震,津波,噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他の及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害をいう〉と定められている。これは自然界の異常現象かまたはなんらかの原因によってひき起こされた被害が,ある限度を超えた場合を災害といっているわけで,被害の程度で決めている。以下,災害対策基本法の枠組みに基づいて,日本の防災対策の現状をみてみよう。
国には中央防災会議があり,県レベルでは都道府県防災会議があり,市町村レベルでは市町村防災会議を設けることができる。中央防災会議は防災に関する基本的な計画として防災基本計画を作成し,それぞれの省庁や指定公共機関は防災基本計画に基づいて防災業務計画を作成することになっている。さらに都道府県防災会議や市町村は,それぞれ地域防災計画を作成することになっている。
災害は地域的特性の強い現象であり,それぞれの地域の実情に即した防災に関する計画を作成する必要がある。都道府県レベルでは都道府県地域防災計画,市町村レベルでは市町村地域防災計画,二つ以上の都道府県または市町村にまたがる場合は,それぞれ指定地域都道府県防災計画,指定地域市町村防災計画と呼んでいる。
これは国の中央防災会議で定めるもので,災害の根絶を究極目標とし,最近の災害の実情に照らしながら,災害の未然防止,被害の軽減および災害復興のため行うべき施策の基本を定め,防災業務計画および地域防災計画作成の基準を示し,防災体制の前進を図ることを目的としている。内容としては,(1)防災体制の確立,(2)防災事業の促進,(3)災害復興の迅速適切化,(4)防災に関する科学技術の研究の推進の4本柱となっている。これらのことは一度に全部やることはできないので段階的に対応することとし,現状では迅速的確な応急対策の実施と災害から復興するための諸対策の推進が主体となっている。
災害の予防,応急対策および復旧など防災諸活動に即応する体制を確立するため情報の伝達,活動要員の確保,飲料水・医薬品の調達,輸送手段の確保などを行うとともに,広域的防災活動には住民の協力が必要なことから,防災思想の普及を図りながら自主防災組織を確立し防災訓練をくり返し行うことによって,真に自発的にして強力な活動・協力体制を樹立しようとするものである。
非常時の防災活動をスムーズに運ぶためには,普段からの訓練と役割分担,人間関係の改善が必要である。そのため地域社会で実際の災害状況を想定しながら,予警報の伝達,災害防除,避難,救助,防疫などの訓練を実戦的に重ね,併せて住民の隣人互助の精神を助成育成しようというものである。実際に災害に見舞われた地域などの防災訓練は,被災の経験が生かされより実戦的な方法が見いだされたり,民間の協力機構がつくられはじめている。1983年10月3日の三宅島の火山噴火の際は,数日前に行われた大がかりな防災訓練が功を奏し,防災活動が円滑に進められたため,経済的な被害は大きかったが,死者は1人も出なかった。訓練がなされている場合,ものごとが手順よく進むことによって時間が短縮でき,それが落ち着いて活動できる条件をつくってくれる。防災訓練が実際のとき有効になるため必要な条件は,正しい災害想定,災害のイメージをもって訓練を行うことである。
広域的な災害の場合,防災活動を円滑に進めるためには地域住民の協力が必要である。そのため平常時の民間協力機構や各種組合,協会,団体などと地域住民のボランティア活動などをうまく活用していく必要があり,大規模災害を前提として協力体制を確立しておこうというものである。これらの組織化とともに,防災活動に必要な小型ポンプなどの配備も行われはじめている。スイスでは民間防衛組織(シビル・ディフェンス)がつくられており,各戸にシェルター造りを奨励したり,地域連絡網の整備,各人の初期救助技術の訓練など,きわめて組織的に行われている。スイスの場合のように日常化された防災組織の運営はうまくいくが,何十年に一度起こるか起こらないかという大災害の場合,自主防災組織に地域住民の関心をつなぎとめることが難しく,たいせつな視点は日常的活動とどのように関係づけていくかではなかろうか。1963年に大きな地震の被害を受けたユーゴスラビアのスコピエでは,年1度の地震記念日に,若者たちにどんな地震が起こったか,復興活動はどんなに進められたかを知ってもらうために,地震祭とでもいうような催し物をやるというが,自主防災組織の活動を活性化させていくためには,単に防災ということだけの結びつきでなく,一工夫も二工夫もして日常的活動と結びつけていく必要がある。
防災施設には防潮堤や堤防,ダムから防災センター,救急病院,防災拠点,防災広場など,さらに気象レーダー観測施設,防火水槽,防災倉庫に至るあらゆる種類の防災にかかわる施設が含まれる。
このうち防災業務施設および設備としては,(1)予報の精度を高め局地的予報を的確に行うため必要な自然現象の観測と予報に必要な施設および設備,(2)予警報の伝達,情報の収集,観測施設間の連絡などのための通信連絡施設および設備,(3)被害の軽減を図るための水防,消防および救助に関する施設および設備(このなかには消防ポンプ,救急車,避難施設,応急仮設住宅などが含まれる),(4)石油などの大量流出による災害を防止するための施設および設備(これは防油堤から化学消火剤まで含む)がある。
災害を防除するには,災害発生原因の制御と耐災環境の整備の2方法があり,防災事業はおもに前者のための施策で,長期的・総合的視野の必要なものである。防災事業の最もたいせつな目的は国土を保全して災害の発生を防ぐことである。治山事業や治水事業は水源地から河口まで一つの水系であることから有機的関連性が高く,治水,利水の調整を図って総合的に事業の計画的推進を図る必要がある。急速な開発行為によって失われた自然のバランスをとり戻すためには,長期的視野での計画的事業が必要となる。造林事業や海岸保全事業,農地防災事業などについても,各種事業との調整を図りつつ,国土保全という長期的視野に立って計画的に事業を進めていく必要がある。国土保全対策上重点をおく防災事業の事項は次のとおりである。
(1)山地の崩壊および土砂の流出を防止するための治山対策,(2)防潮林およびなだれ防止林造成,(3)保安林の整備およびその適切な管理,(4)地すべり防止対策,(5)重要な河川の水系,土砂害の著しい河川および都市周辺その他重要地域における砂防対策,(6)重要な河川の改修および局地豪雨に対処するための都市河川その他の中小河川の改修,(7)多目的ダムおよび防災ダムの建設,(8)重要地域における高潮,浸食対策,(9)急傾斜地崩壊防止対策,(10)低・湿地域における排水対策,(11)農地保全対策および老朽溜池の補強。
以上は国土全般であるが人口密度の高い都市部の防災事業としては,おもに地震火災の防止と豪雪対策に重点をおき,都市の防災構造化対策としては次の事項があげられる。
(1)建物の不燃堅牢化,(2)公園,緑地等公共空間の整備,(3)市街地再開発事業,土地区画整理事業,(4)上下水道等の整備。
その他の災害予防対策として次のような防災事業がある。
(1)危険地域からの移転 地すべり地帯等危険地域に居住する者に対し,必要な援助を行って,その移転を促進する。
(2)地盤沈下対策 臨海地帯の高潮洪水対策として,国土保全事業のほか,地下水くみ上げの規制および代替工業用水道の建設ならびに低地帯の盛土またはこれに代わる避難場所の設定等を併せて促進するものとする。
(3)交通確保および交通安全対策 水火災,地震,豪雪等に備えて路線計画,構造等について災害予防の見地から十分な対策を講ずるとともに,交通の安全を確保するための施設および設備を整備するものとする。
(4)海上災害の予防対策 海上災害予防のため,港湾,漁港の整備,運河の拡張ならびに海上交通の安全を確保する施設および設備の整備を図るものとする。
(5)航空災害の予防対策 航空災害の予防のため,空港および航空保安施設の整備を図るものとする。
(6)林野火災の予防対策 林野火災予防のため,防火線,林道等の構築,保全および消防用資器材の整備を図るものとする。
ここで,都市防災上重要な防災拠点と防災広場についてみよう。
大規模な災害時に避難場所として,また救援救助の場所として役立つような条件をもった施設。とくに地震時の市街地大火に巻き込まれたとしても,そのような機能を果たすためには,規模が十分大きいこと,周辺が不燃建築物等で囲まれていて延焼の危険がない形態をした施設もしくは施設群を指す。十分広さのある公園等を避難場所にした場合との違いは,防災拠点は公園やアパート群等が一体として防災的機能を果たすことで,そのために,防災拠点内施設は,平常時の施設管理が非常時に防災的機能を発揮するうえで障害とならないような配慮が必要である。東京の墨田区にある白鬚(しらひげ)東地区防災拠点再開発は,地震火災時におよそ10万人の避難者を収容できる防災拠点の第1号で,1983年に防火壁となる住棟群は完成し,85年に避難地となる公園が完成した。白鬚東地区防災拠点約35haの敷地に住棟群,中学校,小学校,保育園,工場アパート,神社,コミュニティ・センター,防災センター,医療センターが立地し,後背地の公園が安全な避難地になるよう配慮されており,防災ということから有機的に結合された施設複合体である。
防災的機能をもった広場(公園)をいう。避難場所になるような防災拠点内の公園も防災広場であるが,規模は小さくても地下に防火貯水槽が埋められているとか,防災倉庫が付属しているとか,なんらかの防災的機能が付加しているものをいう。避難場所も防災広場の一つではあるが,防災広場がすべて都市大火に安全な避難場所ではない。
日本の都市は木造建築を許しているため,たびたび都市大火に見舞われ,建築物の不燃化はつねに都市防火対策のテーマであった。防火地区制度という規制によって建替えのたびに不燃建築にしていくという方法をとってきたが,なかなか効果が上がらなかった。関東大震災の後,防火建築補助規則を定めて防火地区内の建物の耐火化に助成をした。当時の耐火建築は費用面で木造建築と相当差があったため,融資会社として復興建築助成株式会社をつくったが,借手がなく補助金は余ってしまった。その後,日本の社会は経済恐慌から戦争へと進み,戦時規則として1939年に防空建築規則,42年に防火改修規則が出され,耐火不燃化でなく防火構造(木造モルタル塗)の考えが戦時中に生まれ,それが終戦後も臨時防火建築規則(1948)という形で残り,50年の建築基準法では防火地域(耐火構造),準防火地域(防火構造)となった。戦後も焼け残った都市が次から次へと大火に見舞われたため,52年に都市の中の幹線沿いに防火建築帯を指定して,その防火地域内の建築物の木造と鉄筋コンクリート造の差額の1/2の補助と固定資産税の減免を行ったのが耐火建築促進法で,これによって地方都市にも防火地域指定が広まったし商店街の再開発に利用され,いくつかの都市(沼津,静岡,小樽などの防火建築帯)にできた。この補助制度を利用しながら市街地中心部の商店街を一体的に再開発するために考え出されたのが防災建築街区造成法(1961)である。この段階までは土地所有は元のままであった。これに立体換地や等価交換の手法をとり入れたのが都市再開発法(1969)である。今日の都市再開発の動きも元をただせば防災問題から始まっているわけである。しかし,このようにして都市計画における防火地域指定が,市街地の中心部の商店街に限定されたために,都市防災上最も必要とする場所の不燃化は進んでいない。それを打破するために80年から都市防災不燃化助成の制度が始められた。
1961年に災害対策基本法が制定されたが,都市の防災問題を解決するためには技術的な対応だけでは不十分で計画的対応も必要なことが認識され,東京大学に都市工学科がつくられると同時に都市計画の領域での防災研究が始められた。防災都市計画という名称は,その当時用いられはじめたもので,71年には東京都の震災予防条件のなかにもうたわれ公的に認知され,災害に強い都市づくり計画のため,都市の危険診断を定期的に行うことや,特別危険区域には優先的に都市計画事業を実施していくことが定められている。これを受けて,東京で最も地震災害に対して弱い江東デルタ地帯の防災拠点再開発構想が軌道に乗り始めたり,72年の地域地区の改正作業のとき,それまで経済力があるかないかで定められていた防火地域の指定にも,都市防災的観点が導入されはじめた。
防災都市計画と都市防災計画の違いは何かというと,もし技術的に都市の防災を解決していくのであれば都市防災計画という都市計画の専門分野として独立できるが,防災問題は都市計画のそれぞれの専門分野,たとえば交通計画や緑地計画などとも横断的にかかわりをもたなければ問題解決できないことから防災都市計画という名称が生まれた。
災害の場から都市計画を考えるということは,都市空間に置かれているいろいろな施設間の災害環境における関係を考えていくことであり,施設がもともともっているあらゆる側面の物理的特性にも配慮しなければならないものである。施設はある利用目的をもってつくられるわけであるが,施設そのものが環境的,物理的にもっている特性が災害の場で人間とまずい関係にならないよう計画しておこうという考え方である。
災害という物理現象を下敷きにして都市や建築のあり方を考えるわけで,原論的都市計画,物理学的都市計画ともいえる学問領域である。また,都市という有機体を動かしているのは人間であり,その人間と施設が包まれている環境に災害という力が加わったとき,施設条件が悪ければ人間がもっている能力が発揮できなくなり都市は崩壊するわけで,人間の研究も必要であり,あらゆる学問領域とかかわりが出てくる。防災都市計画というのは,人間を含めた都市環境の医者のような役割で,災害が起こって初めて,いろいろな施設間の関係が浮彫りになり,その関係の力学を計画に生かし,人間にとって望ましい安全で安心できる都市づくりを目ざそうというものである。防災ということから物と物の関係,物と人の関係,人と人の関係に着目して人間にとってよりよい都市は何かを計画的に考え,防災拠点という大規模な再開発事業から,都市の戦略的不燃化や地震に危険なブロック塀を直したり,道路の隅切りをして消防自動車が通れるようにしたり,災害に強い人づくりもするなどに至るまで,関係改善という視点でみると,なんでも防災都市づくりには含まれてくる。
執筆者:村上 處直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
自然現象による災害から、人間の行為による災害、および住宅内における日常災害まで、種々の災害があるが、それぞれの災害の発生機構を明らかにし、人命および財産の安全を図ることを目的として対策を行うことの総称である。この場合の災害には、暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象または大規模な火事、爆発などが含まれる。災害対策、災害防止、災害予防と同義に使用されることが多い。
人口の集中、高密度化の進んだ都市部、火山活動が続く地域などでは多くの災害が予想されるので、各方面からその対策が重要視されている。都市中小河川の氾濫(はんらん)に対する堤防、放水路の整備、地下空間への浸水対策、キャンプ地における河川増水被害対策、火災予防対策、火山噴火時の避難対策などがそれである。地域防災計画および地震発生時の避難拠点づくりなども含まれる。今日とくに求められているものは、地震、火山噴火、洪水などによる大規模な災害発生時に国、地方公共団体等の防災関係機関の連携の強化、自主防災組織をはじめとする民間の防災組織や企業、団体、個人など、すべての国民がそれぞれ役割を担い、連携協力する地域総合防災力の向上および情報通信技術を取り入れ、画像情報、地図情報なども活用した的確な災害情報の収集、伝達の実施などである。また、1995年(平成7)の阪神・淡路(あわじ)大震災後、地震防災対策の強化を図ることを目的とした地震防災対策特別措置法(平成7年法律第111号)が制定されたほか、大震災の教訓を踏まえ、建築物の耐震化などによる災害に強い街づくりの推進、避難拠点の確保、防災機関などにおける危機管理体制や広域応援体制の確立などが必要とされている。
行政面では、災害対策基本法第2条第2号によると、防災とは「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図ること」とされている。すなわち、災害予防、災害応急対策、災害復旧などを内容とする「災害対策」と同義に使用されることが多い。このような防災組織に関する法としては、災害対策基本法を基本として、行政官庁の権限の分配を定めた各省庁設置法、実働機関の組織を定めた消防組織法、自衛隊法、警察法などがあるほか、消防法、水防法、石油コンビナート等災害防止法などのうち防災の組織を含めた部分がある。
[次郎丸誠男]
災害対策基本法第3条第1項では、国における防災責任を「国は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する使命を有することにかんがみ、組織及び機能のすべてをあげて防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する」として明確にし、各省庁の施策が互いに整合性を欠くことを防止するため、中央防災会議を設置し、この場でその調整を図ることとしている。すなわち、国の防災体制は、24の指定行政機関に分掌されているが、このうち内閣府においては、他の行政機関の所掌に属するものを除き、災害に関する企画、立案および関係行政機関の災害に関する事務の調整を行い、一方消防庁では、災害対策基本法に基づく事務で国と地方公共団体および地方公共団体相互間の連絡調整を行うこととされている。なお、災害対策基本法では、地方公共団体の防災体制、災害時の防災体制、緊急事態の体制などについても定めている。
[次郎丸誠男]
『消防庁震災対策指導室編『'95地震防災対策シンポジウム特別寄稿集』(1995・地方財務協会)』▽『消防庁編『消防白書』平成21年度版(2009・日経印刷)』
個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...
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