中国、唐代の僧。四分律宗(しぶんりつしゅう)(南山宗)の開祖。俗姓は銭氏。丹徒(たんと)(浙江(せっこう)省)の人。南山律師と称する。15歳で出家し、615年(大業11)、大禅定寺(だいぜんじょうじ)の智首(ちしゅ)より具足戒(ぐそくかい)を受けた。630年(貞観4)に『四分律行事鈔(ぎょうじしょう)』、635年に『四分律羯磨(こんま)』、637年に『釈門亡物軽重儀(しゃくもんぼうもつけいちょうぎ)』を撰述(せんじゅつ)し、律の体系を完成した。645年、玄奘(げんじょう)の訳場で翻訳を筆記したり訳文を潤色する役の代表となる。662年(龍朔2)、勅により沙門(しゃもん)、道士の君親礼拝(らいはい)が制せられたが、道宣は出家者が世俗法に従う理由なしとして上表し反対したため、ついにその勅は停止された。658年(顕慶3)長安に西明寺(さいみょうじ)が創建されるや、上座にあてられ、『釈門章服儀(しゃもんしょうふくぎ)』(659)、『釈門帰敬儀』(660)を撰述した。664年(麟徳1)、69歳で終南山浄業寺(しゅうなんざんじょうごうじ)に入り、『大唐内典録(だいとうないてんろく)』『広弘明集(こうぐみょうしゅう)』『集神州三宝感通録(しゅうじんしゅうさんぼうかんつうろく)』『集古今仏道論衡(しゅうここんぶつどうろんこう)』『釈迦氏譜(しゃかしふ)』などを撰述。また667年(乾封2)、浄業寺に戒壇を築き、『戒壇図経』『祇洹(ぎおん)寺図経』を撰述した。その戒壇は後世、中国や日本における戒壇の模範とされた。
道宣はもっぱら四分律を奉じ、教判として化教(けきょう)(能力にしたがって説く教え)と制教(せいきょう)(戒律を説く戒学)を述べたが、小乗としての律宗も部分的には大乗に通ずるという分通大乗の立場に満足せず、大乗そのものとみて、律宗の教理を唯識(ゆいしき)の教理によって基礎づけた。また二百五十戒を、戒法、戒体、戒行、戒相の4科に分類して説き、犯した罪を発露懺悔(さんげ)する6種の方法をたてた。乾封(けんぽう)2年10月3日示寂。彼の著は律学のみでなく、経録、史伝、僧伝など多方面にわたり、当時の仏教史研究の貴重な文献として重視される。
[佐藤達玄 2017年3月21日]
『山崎宏著『隋唐仏教史の研究』(1967・法蔵館)』
中国,隋・唐初の僧。南山律宗の祖で,一般には南山律師と称する。呉興(浙江省湖州市)の人(一説に丹徒の人)。陳の吏部尚書銭申の子で,20歳で具足戒をうけ,律学の大家智首の門に学んだ。終南山(南山)に住して,《四分律》をもとに戒律の行事を解説した名著《四分律行事鈔》3巻をはじめとする戒律学の五大部を著した。645年(貞観19)に玄奘(げんじよう)がインドから帰国すると,招かれて長安弘福寺での仏典翻訳事業に参加し,祇園精舎の制に模した西明寺が658年(顕慶3)に完成すると,その上座に招かれた。当時の長安仏教界の最高指導者と目され,律五大部を含む35部188巻にのぼる著述を残したが,とくに梁初より唐初に至る僧伝《続高僧伝》30巻,インドの地志《釈迦方志》2巻,当時の漢訳仏典目録たる《大唐内典録》10巻,道教を批判し仏教を高揚した《集古今仏道論衡》4巻,仏教護法論の集大成ともいうべき《広弘明集(こうぐみようしゆう)》30巻などは中国仏教研究上に不可欠の貴重な文献である。
執筆者:礪波 護
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…インドの祇園精舎,ナーランダー寺の戒壇の制が中国に伝えられたともいうが,明らかでない。中国では唐代に南山律宗の大成者道宣が,長安郊外の浄業寺で戒壇を設立したが,その際に《関中創立戒壇図経》を著して,戒壇の形式を明らかにした。その形状は三重の壇になり,下壇は方29.8尺で高さ9尺,中壇は方23尺で高さ4.5尺,上壇は方7尺で高さ2寸,上壇には仏舎利を納めた宝塔を安置すると規制している。…
…中国,梁の僧祐(そうゆう)(445‐518)が仏教を〈弘め明らかにする〉上で有益な先人たちの論文・書簡など57編を14巻に編集した書。ついで唐の道宣(596‐667)はそれ以外の唐初までの文章273編あまりを集め,〈弘明を総べ広め〉て《広弘明集》30巻を作った。この二つの書は仏教伝来以後の中国における仏教理解と受容の過程,儒教・道教との対立交渉,国家との関係を知る上での基本文献である。…
…普通に〈高僧伝〉というときは本書を指すことが多い。 これをうけつぐのが唐の道宣撰《続高僧伝》30巻,宋の賛寧撰《宋高僧伝》30巻,明の如惺撰《大明高僧伝》8巻で,これら4書を総称して〈四朝高僧伝〉という。《続高僧伝》は,《唐高僧伝》とよばれることもあり,南朝の梁から唐初の貞観年間(627‐649)にかけての高僧たちの伝記集である。…
…第1は,梁の会稽嘉祥寺の僧慧皎(えこう)が,519年(天監18)に編する《高僧伝》13巻で,後漢より梁にいたる450年,501人(本伝257,付伝244)の仏教者の列伝である。第2は,唐の道宣がこれをうけ,645年(貞観19)にいったん完成,自分の死の年に至るまで加筆する《続高僧伝》30巻である。前後144年,694人(本伝485,付伝209)の列伝を収める。…
… インドの仏教では,古く祇園精舎(ぎおんしようじや)で北西の一角に〈無常院〉を作って病者や死を迎える者を入れたという。のち,中国の唐代に活躍した道宣は,インド以来の伝承にもとづいて《四分律行事鈔》を選述し,そのなかで〈胆病送終〉(病人を看病し,その最期をみとどけること)について論じた。それによると,無常院の堂内には仏の立像を西方に向けて安置し,その像手に五色の布をかけて後ろに垂らしたのを,背後に横臥した病者にもたせて往生を願わせる,というものであった。…
※「道宣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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