那須塩原(読み)ナスシオバラ

デジタル大辞泉 「那須塩原」の意味・読み・例文・類語

なすしおばら〔なすしほばら〕【那須塩原】

栃木県北端の市。那須野ヶ原森林が覆う。平成17年(2005)1月黒磯市西那須野町塩原町が合併して成立。人口11.8万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「那須塩原」の意味・読み・例文・類語

なすしおばら なすしほばら【那須塩原】

栃木県北部の地名。平成一七年(二〇〇五黒磯市、西那須野町、塩原町が合併して成立した市。東北本線東北新幹線が通じ、塩原温泉郷を抱える。

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改訂新版 世界大百科事典 「那須塩原」の意味・わかりやすい解説

那須塩原[市] (なすしおばら)

栃木県北部の市。2005年1月黒磯(くろいそ)市と塩原町,西那須野(にしなすの)町が合体して成立した。人口11万7812(2010)。

那須塩原市北東部の旧市。1955年黒磯町と東那須野,鍋掛,高林の3村が合体して黒磯町となり,1970年市制。人口5万8783(2000)。市域複合扇状地をなす那須野原の東原から北西帝釈山地へと広がり,福島県との県境に至る。那須野原には明治以後の那須疎水開削によって成立した開拓集落が展開し,経営耕地面積が広く,酪農畑作を中心とした農業が営まれる。第2次世界大戦後,電気揚水によって開田も急速に進んだ。中心集落黒磯は,1884年の東北本線開通後,黒磯駅前に発達した集落であり,周辺の開拓集落に対する中心地として,また那須岳山麓の温泉群の玄関口として発展してきた。東北新幹線那須塩原駅がある。市内北西部には板室温泉があり,朝日岳中腹の標高1460mにある三斗小屋(さんどごや)温泉(硫黄泉,45℃)も飛地ながら市内に入っている。

那須塩原市南西部の旧町。旧那須郡所属。1982年塩谷郡から帰属変更された。人口8859(2000)。町域は,那須扇状地の箒根(ほうきね)地区と,高原山と帝釈山地に囲まれた塩原地区とに分かれる。塩原地区は那須,鬼怒川,川治と並ぶ県内有数の温泉観光地で,箒川上流の大網,福渡(ふくわた),塩釜や,高原山北斜面の塩ノ湯,甘湯などを加えた塩原十一湯により,塩原温泉郷を構成する。最奥にある元湯は,大同年間(806-810)に発見されたと伝えられるが,入湯者が増えたのは1884年に会津新道が改修され,尾崎紅葉の《金色夜叉》によって当地の景勝が紹介されてからのことである。泉質は食塩泉,単純泉,泉温32~88℃。JR東北本線西那須野駅からバスが通じ,東北自動車道西那須野塩原インターチェンジが開設された。日塩有料道路もみじライン沿いにスキー場も開設され,観光客が増加している。農業は那須扇状地における酪農と,高原山北斜面における高冷地野菜の生産に特色がみられる。
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那須塩原市南部の旧町。旧那須郡所属。人口4万3186(2000)。那珂(なか)川の支流蛇尾(さび)川以西の那須野原を占める。乏水性の扇状地で酸性土壌のため原野であったが,1880年に那須開墾社,肇耕(ちようこう)社などの大農場が設立されて開拓が始められ,85年の那須疎水の完成によって本格的に開拓が進んだ。格子状の整然とした開拓地割りと防風林を背にした農家が数列に並ぶ。第2次大戦中まではタバコや麦など畑作と牧馬の生産が中心であったが,戦後は電力揚水による開田で耕地の大部分が水田化され,米作と畜産が中心となった。ゴヨウマツ,ドウダンツツジなどの花木の生産も行われる。1961年に進出したトマト加工工場があり,東北自動車道西那須野塩原インターチェンジ付近には工業団地や流通団地がつくられた。JR東北本線西那須野駅は塩原温泉や大田原・黒羽方面へのバス交通のターミナルとなっており,また国道4号線が通じ,交通上の要地をなす。烏が森公園付近には開拓当時の農場事務所や防風土塁が残されている。農林水産省草地試験場(現,独立行政法人の農業・食品産業技術総合研究機構畜産草地研究所那須研究拠点),栃木県酪農試験場がある。
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