出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
栃木県北部の那須塩原市(なすしおばらし)にある温泉郷。箒川(ほうきがわ)およびその支流に沿って大網、福渡(ふくわた)、塩釜(しおがま)、塩ノ湯、畑下(はたおり)、門前(もんぜん)、古町(ふるまち)、中塩原、上塩原、元湯と、日塩もみじライン沿いの新(あら)湯の11湯を中心とする温泉郷。元湯の起源は古く、大同(だいどう)年間(806~810)の初めといわれている。1884年(明治17)三島通庸(みちつね)が塩原街道を開削して、尾崎紅葉(こうよう)の『金色夜叉(こんじきやしゃ)』や奥蘭田の『塩渓紀勝』で景勝が紹介され入湯客が増加して、明治中期には別荘も設けられた。
1912年(明治45)ごろから西那須野駅より、軽便鉄道が一時期敷設延長されたが、1932年(昭和7)に廃止され、バス交通にかわって昭和初期に京浜の観光保養圏となった。JR東北新幹線の那須塩原駅と東北本線の西那須野駅、野岩(やがん)鉄道の上三依(かみみより)塩原温泉口駅からバスが通じる。自動車交通の増加とともに東北自動車道の西那須野塩原インターチェンジから自家用車や団体観光バスによる観光客も増加して、京浜地域だけでなく東北地域からの週末休養地としての性格もできつつある。箒川の渓谷美だけでなく、木(こ)ノ葉化石園や鍾乳洞(しょうにゅうどう)、回顧(みかえり)滝、竜化(りゅうか)滝など観光地も多い。回顧の吊橋(つりばし)、もみじ谷大吊橋など、吊橋が点在する。日塩もみじラインの開通とともに、鬼怒(きぬ)川温泉やスキー場などの利用も多く、観光コースが広域的になった。
泉質は、単純温泉と塩化物泉が多く、一般に40~70℃で、第三紀中新世に属する緑色凝灰岩層中の割れ目や岩脈に沿ってわき出してくるものが多い。
[村上雅康]
『奥蘭田著、河瀬明一訳『塩渓紀勝』(1959・塩原観光協会)』▽『杉田丑太郎著『塩原温泉誌』(1977・青史社)』
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…町域は,那須扇状地の箒根(ほうきね)地区と,高原山と帝釈山地に囲まれた塩原地区とに分かれる。塩原地区は那須,鬼怒川,川治と並ぶ県内有数の温泉観光地で,箒川上流の大網,福渡(ふくわた),塩釜や,高原山北斜面の塩ノ湯,甘湯などを加えた塩原十一湯により,塩原温泉郷を構成する。最奥にある元湯は,大同年間(806‐810)に発見されたと伝えられるが,入湯者が増えたのは1884年に会津新道が改修され,尾崎紅葉の《金色夜叉》によって当地の景勝が紹介されてからのことである。…
※「塩原温泉郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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