改訂新版 世界大百科事典 「奴変」の意味・わかりやすい解説
奴変 (ぬへん)
Nú biàn
明朝が滅亡した1644年(崇禎17)から清朝の康煕20年代(1681-90)にかけて,華中・華南を中心にしておこった中国史上未曾有の奴僕(ぬぼく)による身分解放を目ざす反乱。奴僕とは奴婢(ぬひ)ともいい,官僚,商人,地主など富裕な家の主人によってその身柄を所有されている使用人であり,身分的には賤民として処遇されていた。明代の奴僕には,主人のための直接的な家内労働やその指揮下に農業,手工業に従事する下層の者から,主人によって家産の管理・運用や,農・工・商にわたる産業の経営を委任され豊かな私財すら蓄積した上層の者まであった。
16世紀,明の後半期に入ると,とりわけ郷紳といわれる地方の官僚の家では従来の規模を上まわる大量の奴僕が集積されたが,これを契機にかつて存在した手厚い保護と絶対的忠誠からなる主人奴僕関係は,下層の奴僕に対する主人の冷遇・虐待,上層の奴僕の主人からの経済的独立が顕著となることによって大きく崩壊していった。奴変は,こうした背景の下で,それまで身分秩序を上から支えてきた明朝国家の倒壊を直接的な契機としておこった。反乱の過程では,共通して主人への隷属を示す証文としての身契(しんけい)を奪還する行動が認められ,またほとんどの場合,一つの県の全域にわたって組織的,かつ大規模に展開された。南明(なんみん)や清朝政権樹立の事実を旧来の社会関係の改変を表すものとして宣伝したり,これらの権力が身分解放令を出したという情報をもちだしたりして,みずからの反乱を正当化する動きもみられた。奴変には,郷紳に対する一般民衆の抵抗運動とあいまって,地域社会の既存の秩序全体を動揺させた役割も認められる。清代に入っても,奴僕の法的地位には大きな変動はなく,彼らは満州貴族,郷紳,官僚の任地での住居を中心に,従前と同様使用されていたが,人身の略奪や提供など,金銭による売買以外の奴僕の入手・使用は国家のきびしい規制を受けるようになり,また個々の奴僕による主人の迫害への抵抗・逃亡,身柄の買い戻しによる良民化は急速に進んだ。これらの動きの中に奴変の大きな影響をみることができる。
執筆者:森 正夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報