改訂新版 世界大百科事典 「重電機工業」の意味・わかりやすい解説
重電機工業 (じゅうでんきこうぎょう)
機械工業のなかで発電機,電動機などの回転電気機械や,変圧器,整流器,開閉制御装置などの静止電気機械を開発・製造する産業。なお,重電機(重電)と電動機を使った家庭用電気機械(家電)を合わせて強電と呼び,電子機器を弱電と呼ぶこともある。
日本における沿革
日本初の発電機は1883年に製造されたが,当時,重電技術は欧米が進んでいたため,発電機,電動機とも大半を輸入に頼らざるをえなかった。1900年代初頭から始まった日本の電力事業の本格化と第1次大戦期の日本経済の重化学工業化によって,重電機工業は飛躍的な発展を遂げた。たとえば,当時の代表的重電機メーカーの芝浦製作所(現,東芝)は,1910年に世界有数の重電機メーカーであるアメリカゼネラル・エレクトリック(GE)社と技術提携したこともあって,12年から20年の9年間に資本金は10倍,生産額は7倍に増加している。ところが第1次大戦終了とともに再び外国製品が日本市場に殺到したため,主力製品の水力発電機の約6割,火力発電機の約9割を外国製品が占めた。競争力確保のため,国内メーカーはいっせいに海外有力メーカーとの提携に踏みきった。23年に三菱電機はアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック(WH)社と提携契約を結び,同年古河財閥はドイツのジーメンス社と共同で富士電機製造(現,富士電機)を設立し,ジーメンス社から半製品,部品の供給を受けることになった。これによって国内メーカーの技術的基礎が確立した。その後の20年代後半から30年初めにかけての大不況で,奥村電機商会や川北電気,大阪電灯製作所などが相次いで倒産したのに対し,芝浦,日立(日立製作所),三菱,富士の4社は製造コスト引下げのための合理化を断行し,企業体質の強化を進めた。その結果,重電機工業におけるこれら4社の地位は揺るぎないものとなり,ここに寡占体制は確立した。
重電機工業も他産業と同様に第2次大戦によって多大の損失を被ったが,戦後の復興期に重電製品の主要需要先である電力,鉄鋼,石炭等の基幹産業に財政資金が集中的に投下されたことから,その復興,発展は順調に進んだ。また50年代後半からの高度成長期には機械,化学,建設等の諸産業で活発な設備投資が行われたことによって,めざましい発展を遂げた。電力会社の発電の主力が水力から火力に移行したことも,重電需要の増加に大きく寄与した。
ところが,60年代半ば以降,重電機工業の地位は相対的に低下した。これは,経済復興が一応の水準に達したなかで,71年のニクソン・ショック,73年の石油危機により日本経済が不況に突入すると,重電機工業は産業界の設備投資意欲の減退,材料価格高騰による採算の悪化,円高による輸出競争力の低下などに直面したからである。
産業の特徴としては,(1)発電用の大型機器から一般住宅用小物機器まで製品分野が非常に幅広い,(2)標準三相電動機などの一部標準品は見込生産が行われているが,通常は受注生産で,しかも発注者の仕様に応じて多品種少量生産が行われている,(3)製品の受注から納入までの期間は短くて数ヵ月,長い場合は1年以上を要する,(4)生産工程の自動化・合理化が難しく,他産業と比べ労働集約的色彩が強い,などがあげられる。
執筆者:青木 良三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報