大韓民国慶尚北道慶州市路西洞に所在する慶州古墳群中の1基である。1921年に偶然発見され,緊急の発掘調査がおこなわれた。発掘の結果,径約46m,高さ約12mの円墳に復元されることが判明した。古墳は,長方形状の墓壙を掘り,その中央に木材を組み合わせた槨をつくり,木棺を安置し,さらに槨外に人頭大の河原石を積み,盛土した積石木槨墳である。副葬品は豪華で,被葬者は古墳名の由来となった金冠をかぶり,切子玉・小玉・勾玉をつらねた首飾,金製腰佩をつけ,腕・足には金銀製釧(くしろ)・指輪・金銅製飾履をつけていた。棺外には中国製の青銅鐎斗(しようと),高句麗製の青銅四耳壺,西方からもたらされたローマガラス,刀剣・甲冑などの武器・武具,鞍・轡などの馬具,金製椀・漆器・土器などの容器が配置されていた。その築造時期は5世紀末から6世紀初めに比定されている。
執筆者:東 潮
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韓国(大韓民国)、慶州(けいしゅう/キョンジュ)市にある三国時代新羅(しらぎ)の積石木槨(つみいしもっかく)墳。1921年偶然に発見され、金冠が出土したことからこの名称がつけられた。底径約45メートル、高さ約12メートルの円墳で、封土下に木槨が設置され、漆塗りの木棺が安置されていたようである。棺内から、金製冠(かんむり)、耳飾、釧(くしろ)、銙帯(かたい)、腰佩(ようはい)や金銅製飾履などが着装された状態で出土し、槨内から多種多量の武器、馬具、容器類が出土。そのうち青銅鐎斗(しょうと)は中国製、ガラス杯は西アジア製と考えられるが、大部分は新羅製で、当時の金属工芸技術の高さを示す。出土品の華麗さ豊富さからみて、王陵級の古墳であり、ほぼ5世紀後葉ごろを中心とした年代と考えられる。
[定森秀夫]
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…17世紀になると民間で漆絵器がかなり流行し,18世紀には漆絵と鎗金(そうきん)を併用した存星がつくられた。朝鮮半島でも慶州金冠塚などから新羅時代の漆絵の遺物が発見されているが,その後,見るべきものは少ない。 日本における最古の例は,縄文前期とされる福井県鳥浜貝塚出土の漆器断片で,乱線や抽象文を赤い漆で描いている。…
※「金冠塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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