日本歴史地名大系 「歓喜寺」の解説
歓喜寺
かんぎじ
歓喜寺集落の東方山中にある。聖衆来迎山恵心院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来(木造坐像、国指定重要文化財)。江戸時代には浄土宗鎮西派の入子細宣陽門院
、以
彼吉原
、為
別納不輸之地
、建
立一堂
、号
歓喜寺
、宗光三男左衛門尉宗氏、敬
重上人遺徳
、故同心合力、営
土木之功
矣」と記す。これによれば明恵の誕生地に高弟喜海(義林房)が湯浅宗氏の助力を得て建立したのに始まる。その年代は明恵の没した寛喜四年(一二三二)一月以降、喜海の没した建長二年一二月以前ということになる。ただし当寺には上品堂・中品堂・下品堂があり、石垣千体仏とよばれる仏像を安置する。
歓喜寺
かんぎじ
蓮光寺から歓喜寺へいつ名称が変わったかは明らかではないが、弘安四年(一二八一)一〇月一〇日の大鑁置文案(歓喜寺文書)に歓喜寺の名称がみえる。もとは密教寺院、比叡山延暦寺の末寺となったこともあったという。正応三年(一二九〇)一〇月二日には後深草上皇から祈願所とする院宣(同文書)を得ており、以後も数度院宣を得、寺領(和佐荘下村・南村)の国役なども免除されている。
歓喜寺
かんぎじ
歓喜寺
かんぎじ
歓喜寺
かんぎじ
歓喜寺
かんきじ
歓喜寺
かんぎじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報