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金達寿 キムダルス

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デジタル大辞泉の解説

キム‐ダルス【金達寿】

[1919~1997]在日朝鮮人作家。朝鮮の慶尚南道生まれ。日大卒。昭和5年(1930)日本に移住。小説「玄海灘」で認められたほか、朝鮮渡来文化の発掘・紹介にも尽力。著作に「朴達の裁判」「太白山脈」「日本の中の朝鮮文化」など。

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百科事典マイペディアの解説

金達寿【きんたつじゅ】

在日朝鮮人の作家。慶尚南道生れ。幼時に渡日し,日本大学専門部芸術科を卒業した。日本語雑誌《民主朝鮮》の編集などを経て作家生活に入った。雑誌《新日本文学》などに拠って活動を続け,在日朝鮮人文学第一人者となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金達寿 きん-たつじゅ

キム-ダルス

金達寿 キム-ダルス

1919-1997 昭和後期-平成時代の小説家。
1919年11月27日朝鮮慶尚南道生まれ。昭和5年(1930)日本に移住。戦後「民主朝鮮」を創刊し,「後裔(こうえい)の街」を連載。29年の「玄海灘」でみとめられ,戦後の在日朝鮮人文学を代表する作家となる。45年ごろから朝鮮渡来文化の調査,紹介にもとりくみ,シリーズ日本の中の朝鮮文化」を刊行,朝鮮と日本の民族的関係を追究した。平成9年5月24日死去。77歳。日大卒。小説はほかに「朴達(パクタリ)の裁判」「太白山脈」など。

出典|講談社
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大辞林 第三版の解説

キムダルス【金達寿】

1919~1997) 在日朝鮮人の作家。朝鮮慶尚南道生まれ。1930年来日。日大卒。日本の植民地統治下の朝鮮民族の苦悩と抵抗を描いた「玄海灘」で注目され、一貫して朝鮮人差別や分断国家の悲劇を直視した。また、「日本の中の朝鮮文化」などをのこす。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金達寿
きむたるす
(1919―1997)

小説家。朝鮮慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド)生まれ。日本大学芸術学部卒業。第二次世界大戦後の在日朝鮮人文学はまず金達寿らの手によって始められた。
 金達寿は、朝鮮史上最大の民族独立運動である三・一独立運動が起きた1919年の11月27日に旧朝鮮の慶尚南道昌原郡で生まれた。釜山(ふざん/プサン)からそう遠くない場所である。両班(ヤンバン。高麗(こうらい)・李朝(りちょう)時代における文・武の官僚の総称)の家で育った父が遊び人だったため生家が没落し、一家は日本へ渡った。屑(くず)拾いをしながら苦学し、文学に目覚め、1939年(昭和14)に日本大学の専門部芸術科に入学した。この学生時代に日本語に翻訳されていた李孝石(りこうせき/イヒョソク)(1907―42)の『蕎麦(そば)の花の頃』や李光洙(りこうしゅ/イグァンス)の『無明』などの小説を読み、「ああ、朝鮮だ、朝鮮がここにある」と故国に開眼した。また10年ぶりに故国に行き、ソウルに滞在したことで、故国、ソウルを舞台にする作品が書けるようになった。これらの積み重ねが、自分は朝鮮人だから朝鮮人のことを書くという作家としての決意になり、在日として自立するには朝鮮民族の置かれた社会的、歴史的立場と連動しながら生きてゆくほかはないとの覚醒(かくせい)をもたらした。こうした自覚のもとに『後裔(こうえい)の街』(1948)が書かれた。長編の代表作『玄海灘(げんかいなだ)』(1954)では作者の分身である西敬泰と地下抵抗運動をすすめる白省吾、林宇載、朴定出との関係を縦糸に、西敬泰と大井公子の恋愛を横糸に物語が展開する。西敬泰と大井公子の間には、愛とか結婚とかの個人のレベルでは解決できない民族の差別が介在した。この差別の壁を前にして、愛とか結婚とかが民族同士の意識の変革の試練にあった。在日の人間と地下活動をする本国の革命家との間にも意識の壁があった。この二つの壁を乗り越えるところに在日文学の課題があると金達寿は自覚した。『玄海灘』の続編『太白(たいはく)山脈』(1969。未完)では解放後のソウルが舞台になる。この二つの長編は朝鮮の民主化への渇望と、革命への見果てぬ夢を書いたものであった。この夢は韓国の民主化の実現で達成された。革命への幻想は、世界の変化とともに醒(さ)めた。
 金達寿の本領が発揮されるのは、「うむ、どうだ。ドクニプ デグンナ(独立できるか)」と問いながら黙々と働く朝鮮の庶民の姿を書いた短編『矢の津峠』(1950)においてである。『朴達(バクタリ)の裁判』(1959)の朴達は、何度拘束されても平気で留置場入りする。朴達にとって留置場は「知識の宝庫」なのだ。警察のなかは政治犯、思想犯がいっぱいで、朴達は彼らから国家、民族、社会主義、資本主義、戦争、世界の歴史、朝鮮の歴史とは何かについて教えてもらった。肥桶(こえおけ)を背負うこと、牛や鋤(すき)、鍬(くわ)を相手に田畑を耕す作業しかしたことがない朴達にとって、留置場は楽しい「私の大学」であった。この楽しさを味わうためには、拷問や折檻(せっかん)さえ何のことはなかった。5歳から引き取られた家で火責め、水責めにあっていた朴達にとって警察の折檻などもののかずではない。こういう強靭な生命力をもった朝鮮人像を描いたところに金達寿文学の最大の功績がある。また、金達寿が『日本の中の朝鮮文化』(1970~91、全12巻)の畢生(ひっせい)の大業を完成したことを忘れてはならない。[川西政明]
『『朴達の裁判』(1959・筑摩書房) ▽『後裔の街』(1966・東風社) ▽『矢の津峠』(1967・むぎ書房) ▽『太白山脈』(1969・筑摩書房) ▽『小説在日朝鮮人史』上下(1975・創樹社) ▽『金達寿評論集(上) わが文学』『金達寿評論集(下) わが民族』(1976・筑摩書房) ▽『落照』(1979・筑摩書房) ▽『金達寿小説全集』全7巻(1980・筑摩書房) ▽『朝鮮――民族・歴史・文化』(岩波新書) ▽『日本の中の朝鮮文化』全12巻(講談社文庫) ▽辛基秀編著『金達寿ルネサンス――文学・歴史・民族』(2002・解放出版社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の金達寿の言及

【在日朝鮮人】より

…この時期に〈在日〉朝鮮人の文学は本格的に始まったといえよう。1940‐42年にかけて《芸術科》(日大芸術科発行)に拠った金達寿(1919‐97)ら若い世代が登場し,強いられた日本語を用いて反日本帝国主義の文学的いとなみを可能にするという,在日朝鮮人文学者の多様な戦いの下地を意識的に切りひらきはじめた。その試みの真の開花は解放後に実現した。…

【在日朝鮮人】より

…この時期に〈在日〉朝鮮人の文学は本格的に始まったといえよう。1940‐42年にかけて《芸術科》(日大芸術科発行)に拠った金達寿(1919‐97)ら若い世代が登場し,強いられた日本語を用いて反日本帝国主義の文学的いとなみを可能にするという,在日朝鮮人文学者の多様な戦いの下地を意識的に切りひらきはじめた。その試みの真の開花は解放後に実現した。…

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