鉾田(読み)ホコタ

デジタル大辞泉 「鉾田」の意味・読み・例文・類語

ほこた【鉾田】

茨城県中東部、鹿島灘に面する市。メロンイチゴなどのほか、根みつばの栽培が盛ん。平成17年(2005)10月に旭村・鉾田町大洋村が合併して成立。人口5.0万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「鉾田」の意味・わかりやすい解説

鉾田[市] (ほこた)

茨城県東部の市。2005年10月鉾田町と旭(あさひ)村,大洋(たいよう)村が合体して成立した。人口5万0156(2010)。

鉾田市北東部の旧村,旧鹿島郡所属。人口1万1637(2000)。東は鹿島灘,北は涸沼(ひぬま)に面し,鹿島台地の北端に位置する。台地の東端を国道51号線が通り,集落は国道沿いと大谷川流域に散在する。台地上でのサツマイモの生産と養豚を主産業としてきたが,1960年代半ばから野菜生産が急増した。現在は施設園芸と養豚が中心で,ことにプリンスメロンは全国有数の産地である。スイカや輸出用グラジオラスの球根の栽培も盛んで,ゴボウの出荷も多い。就業人口の過半を農業就業者が占め(1995),農業生産額も県下有数の規模である。1955-70年の間は人口減少が続いたが,70年代半ばには減少もとまった。鹿島臨海鉄道線,国道51号線が通じる。

鉾田市南東部の旧村。旧鹿島郡所属。人口1万1053(2000)。東は鹿島灘,西は北浦に面し,中央部には鹿島台地が広がる。かつては麦,サツマイモ,ラッカセイが農業の中心であったが,近年はプリンスメロンやピーマン,ミツバなどの野菜生産や養豚などがふえている。北浦に面する低地は水田となり,海岸沿いの集落からも出耕作が行われる。北浦ではワカサギ漁が衰え,コイの養殖が行われる。鹿島臨海工業地域の造成にともない,1970年代前半から流入人口がふえており,工業団地の建設も進められている。縄文時代の二重作(ふたえざく)貝塚や,鎌倉末期の釈迦如来像(重要文化財)を有する福泉寺がある。鹿島臨海鉄道が通じ,北浦対岸の行方(なめがた)市との間に鹿行(ろつこう)大橋がかかる。

鉾田市中部の旧町。旧鹿島郡所属。人口2万8225(2000)。北浦の北岸にあり,東は鹿島灘に面する。町域の大半は東茨城台地で,北浦に注ぐ巴川,七瀬川などの沿岸に水田が開ける。JR常磐線石岡駅から鹿島鉄道線が通じ(2007年廃止),海岸沿いを国道51号線,中央部を鹿島臨海鉄道線が通る。中心集落の鉾田は北浦北端の低地にあり,江戸時代は那珂湊から涸沼,北浦,利根川を経て江戸に至る水運の要地であった。現在は鹿島・行方両郡の商業・行政の中心地で,周辺のバス交通の中心でもある。農業は麦やサツマイモを中心としていたが,近年は野菜生産や養豚を中心に,農業生産額は北関東でも有数の規模である。ラッカセイの作付けも多い。行方市の旧玉造町にかけて工業団地がつくられ,縫製,電機,漬物などの工場も立地する。鳥栖(とりのす)に真宗二十四輩(にじゆうよはい)第3番の無量寿寺がある。鹿島灘沿岸の大竹は海水浴場
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鉾田」の意味・わかりやすい解説

鉾田(市)
ほこた

茨城県中央東部に位置する市。2005年(平成17)、鹿島(かしま)郡鉾田町、旭村(あさひむら)、大洋村(たいようむら)が合併して市制施行、鉾田市となる。東は鹿島灘(かしまなだ)に臨み、北は東茨城郡茨城町、大洗(おおあらい)町と涸沼(ひぬま)に、西は小美玉(おみたま)市、行方(なめがた)市と北浦に、南は北浦、鹿嶋市に接する。市域の大部分は鹿島・行方台地に展開、一部太平洋側の砂浜海岸と、北浦湖岸の低湿地を含む。鹿島臨海鉄道、国道51号が縦走し、水戸市、鹿嶋市に通じる。東関東自動車道の鉾田インターチェンジがある。南部を国道354号が横断、北浦に架かる鹿行(ろっこう)大橋で、対岸の行方市と結ばれる。中心地は鉾田で官公庁が多い。

 中世、市の北西部は、常陸大掾(だいじょう)氏の一族鹿島氏の庶流で、烟田(かまた)城に拠った烟田氏が領した。しかし、佐竹氏の南下侵攻によって1591年(天正19)に烟田城は落城、以降佐竹氏の一族東氏が市域を含む鹿島郡を領した。1602年(慶長7)の佐竹氏出羽秋田移封後は、旗本領が多く、一部は幕府領・藩領となった。江戸時代、北西部を南流する巴(ともえ)川は水戸と江戸、また仙台・相馬・磐城方面と江戸を結ぶ物資輸送に利用され、鉾田河岸、塔ヶ崎(とうがさき)河岸などが、その要衝として栄えた。鹿島灘沿いには水戸と銚子を結ぶ飯沼(いいぬま)街道(鹿島街道)が通り、宿駅に制定された汲上(くみあげ)村は、鹿島神宮への参詣路として賑わいをみせた。鹿島灘沿岸地域では、江戸初期から中期にかけて製塩業が発展し、塩釜役が課されていた。また地引網漁業も盛んで、北浦の水上交通の要所に位置する梶山(かじやま)村、札(ふだ)村、阿玉(あたま)村などの河岸は、製造された干鰯の荷受、保管、船積所として繁栄した。

 現在の基幹産業は農業で、メロン、ホウレンソウ、トマトなどの施設園芸のほか、サツマイモ、ニンジン、ゴボウ、ミツバなどの野菜類、輸出用グラジオラス球根などを栽培。養豚も盛ん。鹿島灘海岸部には多くの海水浴場があり、大竹海岸一帯は県立鹿島灘海浜公園として整備されている。鳥栖(とりのす)の無量寿寺(むりょうじゅじ)は、806年(大同1)に平城天皇の勅願寺として創建されたと伝え、寺宝の紙本著色拾遺古徳伝(しゅういことくでん)(残闕。鎌倉後期)は国指定重要文化財、また所蔵の御文書、建造物(本堂、鐘楼、山門)は県指定文化財。大蔵(おおくら)の福泉寺(ふくせんじ)の木造釈迦如来立像は国指定重要文化財。子生(こなじ)の厳島(いつくしま)神社本殿は県指定文化財。面積207.60平方キロメートル、人口4万5953(2020)。

[編集部]



鉾田
ほこた

茨城県中央東部、鹿島郡(かしまぐん)にあった旧町名(鉾田町(まち))。現在は鉾田市の中央を占める地域。旧鉾田町は、1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)巴(ともえ)、徳宿(とくしゅく)、新宮(しんぐう)、秋津(あきつ)の4村と合併。2005年(平成17)旭(あさひ)、大洋の2村と合併して市制施行、鉾田市となった。太平洋側に40メートルの急崖(きゅうがい)をもつ砂浜海岸と、広大な鹿島・行方(なめがた)台地、および巴(ともえ)川流域と北浦(きたうら)湖頭の低湿地よりなる。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線、国道51号が通じる。JR常磐(じょうばん)線石岡駅から延びていた鹿島鉄道は2007年に廃止された。中世は鹿島氏一族が支配し、近世は旗本領が多かった。江戸時代は那珂湊(なかみなと)―涸沼(ひぬま)―巴川を経て江戸へ運ぶ米輸送路の鉾田河岸(かし)、塔ヶ崎(とうがさき)河岸があった。メロン、イチゴ、サツマイモ、ゴボウ、養豚などの農業が盛大。鹿行(ろっこう)地方の中心で官公庁が多い。大竹海岸は海水浴場。806年(大同1)創建という無量寿寺(むりょうじゅじ)の紙本著色拾遺古徳伝(しゅういことくでん)(残闕)は国指定重要文化財、御文書、建造物(本堂、鐘楼、山門)は県指定文化財、ボダイジュは県の天然記念物である。

[櫻井明俊]

『『鉾田町の今昔』(1960・鉾田町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鉾田」の意味・わかりやすい解説

鉾田
ほこた

茨城県南東部,鉾田市中部の旧町域。北浦の北岸にあり,東は鹿島灘に面する。 1889年町制。 1955年巴村,徳宿村,新宮村,秋津村の4村と合体。 2005年村,大洋村と合体して鉾田市となった。江戸時代には物資輸送の中継港として繁栄。耕地の大部分は畑地でメロン,イチゴなどを多産する。

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百科事典マイペディア 「鉾田」の意味・わかりやすい解説

鉾田[町]【ほこた】

茨城県東部,鹿島郡の旧町。主集落は北浦北端の湖頭集落で,近世には那珂湊(なかみなと)から江戸への物資輸送の積替地であった。ビニルハウスを利用したメロン,イチゴ,トマトの産が多い。鹿島鉄道,鹿島臨海鉄道が通じる。2005年10月,鹿島郡旭村,大洋村と合併し市制,鉾田市となる。106.47km2。2万9211人(2003)。

鉾田[市]【ほこた】

茨城県東部,鹿島灘に面する市。2005年10月,鹿島郡鉾田町,旭村,大洋村が合併し市制。鹿島臨海鉄道,国道51号線,354号線が通じる。東日本大震災で,市内において被害が発生。207.61km2。5万156人(2010)。

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