中国,周の武王の都。武王は殷を滅ぼすと,父文王の都の酆(ほう)から鎬へ遷都した。酆は渭水の支流の灃水の西岸,西安市の西南西約20kmの客省荘(かくせいそう)から秦渡鎮にいたる地とされ,鎬はその東岸の鎬京観から普渡村に及ぶ地域にあったと推定される。灃河の東西両岸からは西周時代の瓦や墓が発見されており,住居のあったことはわかるが,この一帯は漢の武帝のときに昆明池や上林苑などをつくる際の大土木工事で破壊されたらしく,都の遺構は輪郭さえも不明であるとされる。
執筆者:永田 英正 ところで1961年から62年にかけて灃東地区において行われた試掘調査では,いくつかの西周遺址が発見されている。普渡村の北の洛水村では,大量の西周瓦や白灰を塗った土壁破片が発見され,この地域に瓦ぶきの大建築が存在していたであろうことが推定されている。また住居址や窯址の発見もあり,出土した土器は3期に編年されている。また普渡村では3基の西周墓が発見された。いずれも長方形竪穴木槨墓で,1954年の調査で第3号墓からは,鼎(てい),鬲(れき),甗(げん),爵,觚(こ),盉(か),罍(らい),壺,卣(ゆう),簋(き),盤,鐘,勺など27点の青銅器,鬲,瓿(ほう),三足器,釉豆など22点の土器,23点の玉器などが副葬品として出土した。この墓は西周中期ごろに埋葬が行われたと考えられているが,鎬京の地に存在する墓として考古学的な基準となる遺構であろう。
執筆者:飯島 武次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
西周の都。武王が殷(いん)を滅ぼしたのち,ここに移り,以後,東遷(前770年)までの都として栄えた。西安(陝西(せんせい)省)の西,灃水(ほうすい)流域に比定されているが,都城址そのものは発見されていない。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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