長勝寺遺跡(読み)ちようしようじいせき

日本歴史地名大系 「長勝寺遺跡」の解説

長勝寺遺跡
ちようしようじいせき

[現在地名]鎌倉市材木座二丁目

名越なごえ坂入口南側山麓に位置する。長勝寺の帝釈殿改築に伴って昭和五一年(一九七六)秋に発掘調査された。境内地は南側の山裾を切崩して北側に張出すように積んだ台地状地形をなしている。

発掘調査では四期にわたる中世遺構の重なりが確認された。上から三層目は鎌倉後期のもので、掘立柱建物跡・礎石建物跡各一棟が検出されたが、注目すべきはその周囲に重なりあうようにして検出された「土間状遺構」群である。これは三―四メートル四方ほどの広さに土丹を貼って地表より五―三〇センチほど高くしたものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「長勝寺遺跡」の意味・わかりやすい解説

長勝寺遺跡 (ちょうしょうじいせき)

鎌倉市材木座4丁目の日蓮宗長勝寺境内に所在する,13世紀後半から16世紀ころまでの複合遺跡。最上遺構は室町時代の土坑墓群で,その数は約20基に及び,方形あるいは隅丸方形などの土坑の中に横向きに膝を抱え込んだ横臥屈葬の埋葬がみられる。副葬品はほとんどないが,六道銭は納められている。遺骨大部分は北枕西面であるが,まれに向きの異なるものがあり,その場合には遺骨の上に石やかわらけなどがのせられている。特殊な死因によるものではないかと思われる。形質人類学の鑑定によれば,これらの土坑墓群に葬られた人骨は,生前かなり過酷な生活を強いられていたといい,それからみても一般民衆の共同墓地としての土坑墓群と考えてよいようである。下面からは1辺2~4m四方の土をつき固めた土間状の遺構が重なり合って検出されている。これらの遺構のほとんどには顕著な掘立柱の跡は見つけられていない。きちんとした小屋組を持つ上屋はなかったと思われる。また遺構の重複関係からみて,短期間の使用で廃棄されては次々と建て替えたらしい。こうした状況から,この遺構は小町屋(仮設の商工業用建物)ではないかと考えられている。遺跡の中で小町屋の遺構の分布する部分は間口15m,奥行30mの区域に限られており,丈尺の制の一戸主(間口5丈,奥行10丈)分にあたる。また,この区域の中央部には比較的しっかりとした掘立柱の建物址1棟分があり,これを取り囲むように小町屋らしい遺構がある。さらにこの区域の東に隣接する部分には,伊豆地方の河原石の礎石を使った建物址1棟分がある。御家人級の屋敷の遺構であろう。中世鎌倉での武士の屋敷と民家の在り方を示す好例といえる。出土遺物も多種多様で青磁白磁青白磁・三彩・緑釉などの舶載陶磁器や古瀬戸・常滑・渥美などの国産陶器のほか,火打鎌や経巻の軸と思われる鍍金金具といった遺物が出土している。
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