デジタル大辞泉 「風流」の意味・読み・例文・類語
ふう‐りゅう〔‐リウ〕【風流】
1 上品な趣があること。みやびやかなこと。また、そのさま。風雅。「
2 世俗から離れて、詩歌・書画など趣味の道に遊ぶこと。「
3 「ふりゅう(風流)2」に同じ。〈日葡〉
4 美しく飾ること。
「御前に―の島形を
5 「風流韻事」の略。
「―のはじめや奥の田植歌」〈奥の細道〉
6 先人ののこしたよい流儀。遺風。
「倭歌の―、代々にあらたまり」〈常盤屋の句合・跋〉
[類語]風雅・雅趣・雅致・閑雅
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華やかな趣向のある意匠をいう。〈風流(ふうりゆう)〉は,《万葉集》では〈みやび〉と訓じ,〈情け〉〈好き心〉などの意も含んでいたが,平安末期から中世にはもっぱら〈ふりゅう〉と読まれ,祭りの山車(だし)や物見車に施された華美な装飾,その警固者の奇抜な衣装,宴席に飾られた洲浜台(すはまだい)の趣向などを総称するようになった。これら貴族社会の風流は,しばしば朝廷から禁令が出るほどに華美なものであったが,南北朝期に入ると力をつけてきた町衆や地方の有力農民層にも浸透し,とくに彼らが担い手となった祭礼の芸能の中で大きく花開いた。このため,一般に風流と称した場合,室町時代の社寺の祭礼などに,さまざまな扮装や仮装で笛・太鼓・小鼓・鉦(かね)などに囃されて繰り出した〈囃子物(はやしもの)〉や,それからさらに発展して,趣向をこらした踊り衆がまわりについた〈風流踊〉,また文学や和歌の心を意匠化した風情ある〈作り物〉をいうのである。室町期成立の《下学集》にも,〈風流〉を〈風情の義也。日本の俗,拍子物を呼びて風流と曰ふ〉と記している。この時代の風流の実態を最も詳しく記したものに《看聞日記》がある。これは室町時代初期に,京都近郊の伏見郷に居を構えた伏見宮貞成(さだふさ)親王の日記であるが,それによれば,風流を催すのは郷内の地下人(じげにん)で,新春の松囃子(まつばやし)や左義長(さぎちよう),それに盂蘭盆会(うらぼんえ),祭礼などに,郷内の村々がそれぞれ趣向を競った囃子物を仕立てて御所に推参し,寺や各村へも互いに往来しあったという。
その芸態は,趣向をこらした大きな風流傘を中心に,〈九郎判官奥州下向之躰〉〈畠山六郎ユイノ浜合戦人飛礫ノ躰〉〈五条立傾城之躰〉など,人のよく知る物語の一場面や,当時の風俗を仕組んだ作り物,仮装の一団を,笛・太鼓・小鼓などで囃すものであった。また1416年(応永23),洛西桂(かつら)の石地蔵が奇瑞を示したおりには,都人が連日のように風流を仕立てて大挙して参詣(さんけい)したが,そのときのようすを記した《桂川地蔵記》には,〈上宮太子が逆臣守屋を討つところ〉〈頼政の鵼(ぬえ)退治〉〈鴻門(こうもん)の会〉など,古今東西の故事にちなむ趣向60余が列挙されている。《経覚私要鈔(きようがくしようしよう)》《大乗院寺社雑事記》などによれば,奈良では15世紀後半に古市氏など国人衆を中心に盆に大がかりな風流が行われており,そのころから囃子物のまわりに大勢の踊り衆が見られるようになった。以後,風流の芸態は祭礼などに引き出される作り物を中心とした山車や鉾(ほこ)など,〈作り物風流〉と,盆などに行われる踊りを主体とした〈風流踊〉に分化した。前者の代表は祇園会(祇園祭)に京の町衆によって引かれる山鉾であるが,現在の趣向は,応仁の乱後の1496年(明応5)復興以降の趣向が定着したものである。
中世の大きな美意識の潮流ともいえる風流の精神は,日常生活はもとより,同時代の芸能である延年(えんねん)や能・狂言にも影響を与えた。
寺院の法会のおりの延年には,〈大風流〉〈小風流〉と呼ばれる演目がある。いずれも舞台には華美に飾った舟,山,車,清涼殿,塚,師子の座などの作り物が設けられ,鳥類,獣類,魚類,虫類などの被り物をつけた走物(はしりもの)と呼ばれる一団が登場してにぎやかな場面を展開するが,〈大風流〉では,王者が出て最後を舞楽で納め,〈小風流〉では臣下などワキ衆が誘(おこつり)によって風流衆を呼び出す形式をとる。これらの芸能はおもに大和の大寺で行われており,多武峰(とうのみね)にその台本が残されている。
→延年
風流の作り物で文学や和歌などの故事を好んで立体化する精神は,能にも共通するもので,同時代の芸能である能は,風流の精神を基盤として飛躍したともいえる。とくに応仁の乱以後には《羽衣》《船弁慶》《紅葉狩》など,見た目の華やかさを主眼とした能が作られており,現在ではこれを〈風流能〉の名で呼びならわしている。また能の《式三番》(《翁》)に介入する形で演じられる〈狂言風流〉も,その名称からして当時の囃子物の仮装風流や,延年の風流の〈走物〉の影響を受けていることは明らかである。室町時代後期の風流踊を支えた層と,当時の能・狂言を享受した層とは共通で,風流踊の趣向には能の曲が転用され,その入破(いりは)(キリ)が踊りの中で演じられたことも多い。
京都の祇園会の山鉾,日立市神峰神社の〈日立の風流物〉に代表される作り物の風流はもとより,風流踊の系譜を引く太鼓踊・羯鼓踊(かつこおどり)・花踊・雨乞踊,囃子物の伝統である鷺舞などの動物仮装風流,胸に羯鼓をつけた一人立ちの獅子舞・鹿踊(ししおどり)をはじめ,念仏踊(踊念仏)や盆踊など,全国の民俗芸能には風流の精神を受け継いだ芸能が多い。民俗芸能を分類する場合,それらを一括して〈風流系芸能〉と称するが,その芸態は一様ではない。ただ民俗の心意伝承の中に,人に害をなす悪霊や疫神を追い払うにあたり,華やかに飾りたてた神座(神籬(ひもろぎ))を設けてそこに迎え,笛や太鼓で囃したてて生活圏外に追い出すという思想があり,風流系の芸能が広く伝播(でんぱ)する背景ともなっている。佐賀,長崎,福岡の3県には〈浮立(ふりゆう)〉と呼ばれる芸能が分布するが,これも風流の当て字で,鬼面の者や仮装の者が笛・太鼓・大小鼓・鉦などで囃されて踊る芸態は,一種の囃子物といえよう。
→囃子物 →風流踊
執筆者:天野 文雄+山路 興造
(1)中国でこの熟語の最も古い用例は漢初(前2世紀)の《淮南子(えなんじ)》に見え,風俗の退廃を意味した。したがってそれは貶辞(へんじ)(人をおとしめ,さげすむことば)であったと思われる。しかしやや後には,風俗のなごり・遺風の意味の用法も見られる。(2)魏・晋時代(3~4世紀)には,ひとから仰ぎ慕われる風格・人格の高さをさすようになる。そのころ〈風流の名士〉とよばれた一群の人は古来の道徳や礼法を無視し,因襲を脱しようとした人びとであった。その何ものにも束縛されない自由の精神のあらわれが〈風流〉とよばれたのである。もともと軽蔑のことばが,どうして敬意をあらわす語となったかを考えてみるに,風流すなわち風のながれは風の吹きとおってゆくさまであるから,それを精神の自由の比喩として用いたのであろう。そして〈風流の名士〉は〈清談〉すなわち深遠な哲学(老子・荘子(そうじ)の哲学)の議論にふけり,実務をかえりみなかったため,儒学の伝統を固く守る思想家や政治家から爪はじきされたのは当然であった。だから初めは非難のことばであったのが,非難された当人たちはそれを逆手にとって自尊心を強め,それが他人から彼らをよぶことばにもなったのであろう。(3)〈風流〉の態度はこのようにして〈俗〉(俗人の態度)と対立するものであったゆえに,やはり〈俗〉と対立した意義をふくむ〈雅〉とほとんど同義の語となった。日本で〈風流〉を〈みやびやか〉と訓ずるのは,この(中国における)語義の変化に由来すると思われ,やはり敬意をあらわす。(4)南朝斉・梁の時代(6世紀)に〈風流〉の語義はさらに転化して,官能的な美,なまめかしさを意味するようになる。そのころ編集された《玉台新詠集》に収められた詩に,この意味に用いられた数例が見られる。それに先だって5世紀では,端正でないもの,しどけない姿をした人を風流と言った例がある(南斉の王倹は風流宰相とみずからをよんだが,彼は解散(ほどけた)髻(まげ)をゆい,ななめに簪(かんざし)をさし,朝野の人びとこれにならったと言う)。それは〈放誕風流〉の語から知られるように,すでに風流と放縦とが分かち難くなっていたからであった。その感覚は,また当時の文学観につらなる。梁の簡文帝らが〈文章は放蕩であるのがよい〉と言ったのは,感情の動きが度を過ごす方をよしとしたのであった。(4)のなまめかしさの意味はさらに進んで,唐詩などに見える〈風流才子〉の風流は,好色者をさす。そして俗語ではもっと悪い意味に用いられて,今日に及んだ。
かように“風流”の語義はさまざまに変わったが,中国の文章語(〈文言〉)では,唐代以後,近代まで,むしろよい意味に使われることが多くて,仰ぐべく,慕わしく,あるいはなつかしむ感情を伴っていた。それは(1)に述べた“遺風”“風格”の意味から来たものであろう。
→雅俗
執筆者:小川 環樹 日本の場合は〈風流〉を,《万葉集》では〈みやび〉と訓じ,〈ひなび〉に対する語として用いることが多いが,平安末期から中世にかけてはもっぱら〈ふりゅう〉と読み,装飾や器物の優美な趣向をさす場合に用いるようになる。こうした貴族社会における風流は,しばしば禁令が出されるほど華美をこらしたものになるが,やがて社寺の祭礼などにおける芸能としての風流(ふりゆう),すなわち華麗な装束や作り物を伴う囃子物(拍子物(はやしもの))や,それから発展した風流踊(ふりゆうおどり)につながっていくことになる。
→風流(ふりゅう) →風流踊 →みやび
執筆者:山田 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
日本芸能史および芸能上の用語。祭礼の風流、延年(えんねん)の風流、狂言風流、民俗芸能の風流などがある。古く中国では遺風、余沢(よたく)(『後漢書(ごかんじょ)』王暢伝)を意味したが、日本では風流士と書いてみやびお(『万葉集』巻2)と訓(よ)んだように、みやびやかの意に用い、平安時代には奇巌怪石風流(『中右記(ちゅうゆうき)』)とか金銀錦繍(きんしゅう)風流美麗(同)とか、明媚(めいび)なありさまや華麗な意匠、装いをさすようになった。平安末ごろになると、「京中児女、風流を備え、鼓笛を調え、紫野社に参る」(『百練抄(ひゃくれんしょう)』)とか、「傘のうへに風流の花をさし上(略)乱舞(らっぷ)のまねし」(『梁塵秘抄口伝集(りょうじんひしょうくでんしゅう)』)とか、芸能にも用いられるようになった。これらは1154年(久寿1)4月の京都の今宮神社のやすらい花の祭りを描写したもので、疫神鎮送芸能の姿である。「ふうりやうのあそび」「神あそび」とも記され、かつてない歌いぶり、囃(はや)しぶり、踊りぶりであった。ふりう(『能因集(のういんしゅう)』『増鏡(ますかがみ)』)の表記も定着していた。
[西角井正大]
神が社(やしろ)から御旅所(おたびしょ)に渡る神幸祭(しんこうさい)の練り行列。神輿(みこし)、鉾(ほこ)、山、風流傘、神主、馬長(うまおさ)、奉供人(ぐぶにん)、奉納芸能者などが飾り立て、着飾って練り歩く。見られる祭り、見る祭り、すなわち祭礼は国風貴族文化と御霊(ごりょう)信仰の確立した平安朝中ごろには早くも頂点に近づき、『吉記(きっき)』には1176年(安元2)の賀茂(かも)祭使の行列について、おもだった人物の名、装束のようす、乗馬の毛色、牛馬のこしらえまで細かく記録されている。稲荷(いなり)祭については『新猿楽記(しんさるがくき)』に猿楽者が演じたさまざまな滑稽物真似(こっけいものまね)が記され、『雲州消息(うんしゅうしょうぞく)』には「散楽之態(さんがくのわざ)」が記されている。祭礼の風流という伝統をもっとも後世に残し、広く影響を与えたのは祇園祭(ぎおんまつり)で、疫神祭の代表的存在である。社伝では869年(貞観11)の初発で、66本の鉾を立て神輿が神泉苑(えん)に神幸した。山鉾は平安中期に一度出てただちに中止、南北朝時代末に再初発、応仁(おうにん)の乱で退転、乱後の1500年(明応9)に再興した。今日の姿とほとんど変わるところがない。山鉾は御霊鎮送趣向の典型である。
[西角井正大]
延年は寺院の大法会(ほうえ)後の遊宴、神社祭典の後宴として平安末から室町時代にかけて盛行したもので、舞楽のほかに多少演劇的な開口(かいこう)、当弁(とうべん)、連事(つらね)、大風流(だいふりゅう)、小風流(こふりゅう)の5種類の芸態をもつ。風流は漢土の故事や名所を主題として漢文で綴(つづ)られ、大風流は大王が登場して物語を表す仮装の人物を導き出し話題を進め舞楽で納め、小風流は脇役(わきやく)の誘(おこつり)(呼び出しの謡)で仮装(風流衆)を呼び出して舞曲で納める。奈良県桜井市の談山(だんざん)神社に大24曲、小15曲の台本が残る。宮城県栗原(くりはら)市金成(かんなり)の小迫(おばさま)の延年(重要無形民俗文化財)の馬乗(ばじょう)渡しは、題材は那須与一(なすのよいち)だが延年の風流に通ずる。
[西角井正大]
翁猿楽(おきなさるがく)の祝言性を強調するため、狂言方が仮面や作り物をかぶり豪華な扮装(ふんそう)で登場する特殊な狂言。能楽大成の前・後と成立について両説あるが、延年の風流の影響を受けた。格が重く、演出上も演者の数からも問題が多く、上演の機会は少ない。現行は和泉(いずみ)流で『御賀(おが)の松』ほか30番、大蔵(おおくら)流で『松竹(まつたけ)』ほか9番。千歳(せんざい)掛りと三番叟(さんばそう)掛りの別がある。
[西角井正大]
飾装、仮装をして鉦(かね)、太鼓、笛などで囃し、歌い、踊る、おもに集団的なものである。疫神祭、念仏、田楽(でんがく)の芸態に起源をもつとみられ、盆踊り、踊念仏(己の後生祈願)、念仏踊(亡者慰霊)、虫送り、雨乞(あまごい)踊、太鼓踊、浮立(ふりゅう)、剣舞(けんばい)、迎講(むかえこう)、仏舞(ほとけのまい)、小歌踊、綾(あや)踊、棒踊、奴(やっこ)踊、願人(がんにん)踊、祭礼囃子(ばやし)、太鼓打芸など多くの民俗芸能が風流に属している。東日本に散在する三匹獅子舞(さんびきししまい)、鹿(しし)踊もこの属である。
[西角井正大]
2009年(平成21)神奈川県三浦市の小歌踊「チャッキラコ」が単独でユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。2022年(令和4)にはこれを拡張して24都府県の41件が一括登録されることとなり、登録名称も「風流踊」に変更された。
[編集部 2024年2月16日]
『本田安次著『田楽・風流1』『語り物・風流2』(1967、1970・木耳社)』
先人の遺風、伝統などをいい、とくに聖賢の伝えた流風や醇風(じゅんぷう)良俗をいったが、しだいに、上品で清浄優雅な趣(おもむき)や、優美でみやびやかなことなどをいうようになった。そして詩歌をつくり、管弦に親しんだりして世俗を離れた趣味の道に没頭することをいったり、またそれらの心情に支えられた色好みの行為をもいうようになった。平安末期ころからはさらに転じて、美しく着飾ることや、意匠を凝らして華奢(かしゃ)を尽くすことなどから、珍奇(数寄(すき))な趣向を凝らすことなどをさすようにもなった。中世の風流はもっぱらこの華美、華奢、数寄に類するものをいい、「風流」の名を冠した歌舞、音曲、演劇が多く現れたが、やがてこれらは、中世独特な芸道精神である枯淡、幽玄といった美意識の成立で、風雅なことや文雅なこと(風流韻事)を強く意識することばとなり、近世の「粋(すい)」「いき」「通」といった生活美学の確立や文人趣味の成立は、こうした意識をさらに発展、拡充させて、風雅で洒脱(しゃだつ)な感覚に裏づけされた芸術的な営み一般をいうようになった。
[宇田敏彦]
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みやびやか,風情あるものの意から,趣向をこらした作り物,練り物,仮装,囃子(はやし),集団舞踊などをいう。平安末~江戸初期に流行し,豪奢さや熱狂的な踊の弊害ゆえにしばしば禁止された。室町初期の風流の実態は「看聞御記(かんもんぎょき)」に詳しく,作り物や囃子物が主であった。また1604年(慶長9)の大がかりな風流踊は「豊国(ほうこく)祭図屏風」に描かれる。疫神祭に発した祇園祭,やすらい花の風流,田楽の風流も流行し,寺院の延年(えんねん),正月の松囃子,盆の念仏囃子にも風流があった。現在は能の「翁」に狂言風流が挿入されているほか,民俗芸能の大半は風流系統に属し,各地に念仏踊・盆踊・太鼓踊・羯鼓(かっこ)獅子舞・小歌踊・綾舞などがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…〈雅び〉とあてられ,〈ひなび(鄙び)〉に対する語で,広く都(みやこ)風宮廷風の事柄・事物についていう。漢文訓読史では〈風流〉〈閑雅〉などの漢語に〈みやびかなり〉の訓が付けられた。はやく《万葉集》に〈梅の花夢に語らくみやびたる花とあれ思ふ酒に浮かべこそ〉(巻五)があり,また〈遊士とわれは聞けるを屋戸貸さずわれを還せりおその風流士〉(巻一)の〈遊士〉〈風流士〉も〈みやびを〉とよむべきものと推定される。…
…そして,時の経過とともに延年芸にはさまざまの意匠がこらされ,演ぜられる芸能の種類もしだいに増加していった。たとえば多武峰では6月の蓮華会の延年が盛大であったが,その蓮華会延年の室町後期における演目をみると,頌物,俱舎舞(くしやまい),切拍子,乱拍子,音取(ねとり),楽,朗詠,白拍子,開口,連事(れんじ),狂物,伽陀,小風流,大風流,鉾振(ほこふり)などがあり(1515年(永正12)の《蓮華会延年式目》),演目の増加と次第の整備がいっそう進んでいることがわかる。これを興福寺など他の寺院の室町期の演目に比較してみると,多少の出入りはあるが,大略は上記の多武峰蓮華会の延年式目に一致する。…
…猿楽は,その後,能と狂言の二種を並存させながら幕府の式楽としての道をあゆむ。 その間,諸寺院では僧侶たちによる延年(えんねん)の芸能が行われ,民間では白拍子(しらびようし),曲舞(くせまい),幸若舞(こうわかまい)などの遊行芸能者による歌舞や,極楽往生を願う民衆が念仏を唱えつつ群舞する踊念仏,さらには若い男女が華麗な衣装と小道具を誇示して踊る風流踊(ふりゆうおどり)(風流)などが流行した。長い戦国の争乱ののち,徳川幕府が成立したのは1603年(慶長8)であったが,この年京の河原で名のりを挙げた出雲のお国の歌舞伎踊には,それら踊念仏や風流踊などの要素が多彩に取り込まれていた。…
…日本の伝統音楽は一般に音楽独自の様式を発展,完成するよりも,演劇や舞踊などと結びついた芸能の形をとって発展する傾向がきわめて強かったが,その発展の母体となってきたのが民俗芸能で,能や歌舞伎なども民間で行われていた芸能がしだいに芸術的に洗練され完成されたものである。現在各地に行われている神楽,田楽,風流(ふりゆう)などの民俗芸能の音楽には,現在の芸術音楽にはすでに見られないような古い大陸の音楽文化の影響や能・歌舞伎の音楽の先行形態も残っており,芸術音楽よりもはるかに多くの種類の音楽が行われており,日本音楽史上きわめて重要な地位を占めている。また,日本の民俗音楽においては歌の占める比重がたいへんに大きい。…
…また,室町幕府での観世の松囃子は永享(1429‐41)年末から正月14日に定着していた。 松囃子にはたいてい風流(ふりゆう)と呼ばれる華麗な作り物や仮装,舞,あるいは曲舞(くせまい),田楽(でんがく),獅子舞,そして能が付随して演ぜられているが,人々の関心はむしろこの付随する芸能のほうにあったのであり,風流としては〈九郎判官奥州下向の躰〉〈五条立傾城の躰〉〈清涼山の橋,文殊,師子等〉〈鶴亀舞〉などが資料に見えている。能が演ぜられたのは室町御所での観世大夫の松囃子と,禁裏,室町御所などに推参した声聞師の松囃子であった。…
…長年全国を踏査して多くの研究成果をあげた本田安次(1906‐ )は,これを整理して次のような種目分類を行った。 (1)神楽 (a)巫女(みこ)神楽,(b)出雲流神楽,(c)伊勢流神楽,(d)獅子神楽(山伏神楽・番楽(ばんがく),太神楽(だいかぐら)),(2)田楽 (a)予祝の田遊(田植踊),(b)御田植神事(田舞・田楽躍),(3)風流(ふりゆう) (a)念仏踊(踊念仏),(b)盆踊,(c)太鼓踊,(d)羯鼓(かつこ)獅子舞,(e)小歌踊,(f)綾踊,(g)つくりもの風流,(h)仮装風流,(i)練り風流,(4)祝福芸 (a)来訪神,(b)千秋万歳(せんずまんざい),(c)語り物(幸若舞(こうわかまい)・題目立(だいもくたて)),(5)外来脈 (a)伎楽・獅子舞,(b)舞楽,(c)延年,(d)二十五菩薩来迎会,(e)鬼舞・仏舞,(f)散楽(さんがく)(猿楽),(g)能・狂言,(h)人形芝居,(i)歌舞伎(《図録日本の芸能》所収)。 以上,日本の民俗芸能を網羅・通観しての適切な分類だが,ここではこれを基本に踏まえながら,多少の整理を加えつつ歴史的な解説を行ってみる。…
※「風流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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