空襲を想定して,被害を最小限にくいとめるためにおこなった訓練。日本での最初の灯火管制訓練は,1919年に横須賀でおこなわれた。本格的な灯火管制をともなった防空演習は,28年7月5~7日に大阪でおこなわれた。この演習は,総力戦準備のために国民総動員体制をつくろうとする軍部の意向を受けて,第4師団が主催しておこなわれたもので,独立歩兵2大隊,在郷軍人,青年団員が警備にあたるなかで,5分間の灯火管制などが実施された。市民には,光をさえぎるため家の窓などに暗幕をはるなどの協力が求められた。その後,29年には第3師団,愛知県,名古屋市の共催による防空演習が,また33年には第1回の関東防空演習がおこなわれるなど,防空演習は徐々に全国化,大規模化していった。それにともない,演習の基礎単位としての町内会や防護団が整備されるようになった。37年4月,防空法が公布された。これにより行政当局は市町村にたいし,空襲による被害を防ぐために防空計画の設定を義務づけることができ,また戦時体制のもとで国民の自由や権利を制限する権限を握った。町内会などの組織化にともない防空演習も大規模化し,灯火管制,消防,防毒,避難,救護などの訓練が日常的におこなわれるようになった。隣組単位で不意打ち軍官民総合防空訓練がおこなわれ,各自で防空ずきんを作ったり,バケツリレーをしたり,屋根の火の粉をはらったりした。しかしこれらの訓練は,B29による大規模都市爆撃にはまったく無力であり,人々は防空壕(シェルター)を各家で作ったりはしたもののたいした効果もなく,逃げのびるのがやっとであった。
執筆者:芳井 研一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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