阿房宮(読み)アボウキュウ

デジタル大辞泉 「阿房宮」の意味・読み・例文・類語

あぼう‐きゅう〔アバウ‐〕【阿房宮】

中国の秦の始皇帝が、渭水いすいの南に建てた大宮殿。秦を滅ぼした項羽が火を放ったが、3か月燃え続けたという。遺跡は、西安市の西方に残る。

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精選版 日本国語大辞典 「阿房宮」の意味・読み・例文・類語

あぼう‐きゅうアバウ‥【阿房宮】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 中国、秦の始皇帝が渭水(いすい)の南、長安の西北の阿房に建てた宮殿。始皇帝はここに宮女三千人を置き、日夜遊楽にふけったという。
    2. [ 二 ] ( 阿房宮が美女三千人を入れたというところから ) 遊女三千を数えた江戸吉原をたとえていう。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 キク科の園芸品種。頭花は黄色。八重の大輪で径は約一五センチメートルに達す。香気と甘味とに富む。煮たり、乾燥したりして食する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿房宮」の意味・わかりやすい解説

阿房宮
あぼうきゅう

中国で最初の統一帝国を建設した秦(しん)(前221~前207)の宮殿。秦の都は統一前の孝公12年(前350)以来、渭水(いすい)北岸の咸陽(かんよう)(現在の咸陽市の東)に置かれていたが、始皇帝が天下を統一した紀元前221年に大規模な拡張工事が開始された。翌年には渭水の南の信宮を天極に、また北の咸陽宮を営室(ペガスス座)に見立て、両者を銀河にあたる渭水に架橋することによって直結しようとする大計画が掲げられた。そこでまず着手されたのが前殿としての阿房宮である。阿房の名称の由来には、咸陽に近い宮殿(阿は近い意)としたり、形が四方に広がっている宮殿(阿は広がる意)の意とするなど諸説がある。その規模は『史記』によれば、東西500歩(約690メートル)、南北50丈(約115メートル)、その上には1万人が座ることができ、下には5丈(約11.5メートル)の旗を立てることができると伝えられる。近年の発掘調査では大規模な版築の土台が確認されているが、阿房宮を含めて渭水の南北にまたがる咸陽城の全貌(ぜんぼう)が明らかになるのはまだ先のことであろう。

[鶴間和幸]

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改訂新版 世界大百科事典 「阿房宮」の意味・わかりやすい解説

阿房宮 (あぼうきゅう)
Ē páng gōng

中国,秦の宮殿。秦の始皇帝は天下を統一すると,都の咸陽は人口が多く,宮廷も小さいということで,渭水の南の上林苑中に新しい宮城の建設を計画し,その前殿として前212年から工事がはじまったのが阿房宮である。その規模は東西500歩(680m),南北50丈(113m)あり,堂上には1万人が座れ,堂下には5丈の旗を立てることができたといわれる。始皇帝の在位中には完成せず二世皇帝の代にも工事は続行されたが,前206年に秦を倒した項羽によって焼かれてしまった。3ヵ月も燃えつづけたという。
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百科事典マイペディア 「阿房宮」の意味・わかりやすい解説

阿房宮【あぼうきゅう】

中国,秦の始皇帝が陝西省西安の近郊,渭水(いすい)の南に建設した宮殿。前212年から70万の罪人を使役して工事を行ったが完工せず,2世皇帝に引き継がれ,未完成のうちに前206年秦は滅び,項羽に焼き払われた。その前殿は東西680m,南北113m,1万人収容できたという。
→関連項目咸陽

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿房宮」の意味・わかりやすい解説

阿房宮
あぼうきゅう
A-fang gong; A-fang kung

中国,秦の始皇帝 (在位前 246~210) の建てた大宮殿。従来の咸陽宮が狭くなったので,始皇帝が渭 (い) 水の南の上林苑に四川省から大木を輸送させ,多くの囚人を使い建設。この正殿には1万人がすわれる計画であったが完成前に始皇帝が死に,秦二世皇帝のとき争乱のため工事が中止になった。楚の項羽のため,前 207年にほかの多くの宮殿とともに焼かれ,3ヵ月もその火が消えなかったという。

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日本の郷土料理がわかる辞典 「阿房宮」の解説

あぼうきゅう【阿房宮】


食用菊の一種で、青森県南部地方特産の大輪の黄色い花。花びらを蒸し、干しのりのように薄く板状に乾燥させた保存の効く干し菊に加工されることが多いが、収穫期の11月頃には生花も出まわる。ゆでて汁の実にしたり、浸し物、酢の物などにする。◇秦(しん)の始皇帝が建てた宮殿の名。ここで菊を愛でたともいわれる。

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デジタル大辞泉プラス 「阿房宮」の解説

阿房宮

青森県八戸市で生産される食用菊。花弁は鮮やかな黄色で、香りがよくシャキシャキとした食感で、苦味が少なく、おひたしや天ぷらなどに広く用いられる。藩政時代に観賞用の菊を関西または関東から持ち込んだのが栽培の始まりとされる。名称は秦の始皇帝が建設した宮殿の名に由来する。

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旺文社世界史事典 三訂版 「阿房宮」の解説

阿房宮
あぼうきゅう

秦の始皇帝が都の咸陽 (かんよう) 付近に建てた宮殿
東西800m,南北150mの大規模なもので,始皇帝の死後も工事が続けられたが,楚の項羽に焼かれて未完のまま潰滅した。遺跡は陝西 (せんせい) 省西安市西方の阿房村に残っている。

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世界大百科事典(旧版)内の阿房宮の言及

【漢代美術】より

…咸陽には200棟もの宮殿が建てられた。最大の阿房宮は今も東西700m,南北150mの壮大な土壇を残す。1974年発掘の1号宮殿址は31m×13mの版築土台を心とした3層の建物が復元されている。…

【秦】より

…外政に関しては,前215年に蒙恬(もうてん)を将軍として匈奴を討ち,万里の長城を築いて異民族の侵入を防ぎ,南は華南一帯を領土に収め,また東方の朝鮮にも軍隊を進めて東アジアにおける最初の大帝国を築きあげた。秦帝国を完成した始皇帝が,皇帝としての威厳の象徴として造営したのが〈阿房宮〉と〈驪山陵(りざんりよう)〉(始皇陵)である。1万人が座ることができるとされた広大な規模の阿房宮前殿は,現在長安の北西にその土壇の遺跡をとどめ,また長安の東,臨潼県付近には,始皇帝の陵墓である驪山陵が残っており,ともに空前の大土木工事のよすがをとどめる。…

※「阿房宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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