静川遺跡(読み)しずかわいせき

日本歴史地名大系 「静川遺跡」の解説

静川遺跡
しずかわいせき

[現在地名]苫小牧市字静川

勇払ゆうふつ平野の東端を占める苫小牧東部開発地域内の厚真あつま台地に位置する縄文時代中期末の遺跡。環濠集落跡などがみられる。国指定史跡。周辺は縄文海進期に形成された標高六―七メートルの低湿地と、一五―二〇メートルの支笏しこつ樽前たるまえ火山の噴火によって生成された砕屑物台地からなっている。遺跡は北に向いた双頭状の台地に立地し、よく発達した樹枝状の台地先端部では、縄文前期の貝塚を伴う集落跡である静川二二遺跡をはじめ、縄文早期からアイヌ文化期にかけての一二五の遺跡が確認されており、苫東とまとう遺跡群とよばれている。

昭和四八年(一九七三)に開始された苫小牧東部大規模工業基地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査は、三ヵ年の分布調査を経て同五一年から本格的な発掘に着手。同五五年には静川地区がその予定候補地となったため調査が実施され、静川一六遺跡が発見された。同五七年六月からは記録保存を目的とした調査が実施され、北西に突き出たA地区から環濠一・建造物跡二・落し穴一八・土壙一八・焼土跡五六・集石四などの遺構と七万六千点の遺物が、北東に向いたB地区からは住居跡三四・土壙一・落し穴二二・土坑一八、焼土跡五四と一一万点の遺物が検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「静川遺跡」の解説

しずかわいせき【静川遺跡】


北海道苫小牧市静川にある縄文時代早期~続縄文時代の集落跡。市街地から東へ約18km離れた苫小牧東部開発地域内の厚真(あつま)台地に位置する。静川はかつて「ニナルカ」と呼ばれていたので「ニナルカ遺跡」ともいう。1980年(昭和55)、石油の備蓄基地建設に際して行った埋蔵文化財の分布調査によって発見された。1982年(昭和57)に記録保存を目的に発掘調査を行い、東西に双頭状に分かれた台地上から遺構、遺物が多数確認された。1987年(昭和62)に国指定史跡となった。東側(A地区)で発見された環濠(かんごう)は、上幅2~3m、下幅0.3~0.5m、深さ1~1.8m、全長139mでV字状を呈していた。また、直径約8mの、炉のない建造物跡も2棟発見された。西側(B地区)で発見された竪穴(たてあな)住居跡33軒は、縄文時代中期末葉のものと推定されている。また、同時期の墳墓、落とし穴、土器片囲炉(どきへんかこいろ)、焼土跡なども発見された。東西両地区からは、そのほかに縄文時代早期から続縄文時代までの土器、石器や装身具類が18万点出土した。発見された環濠については、諸説あるが、祭祀の場であろうといわれている。このように集落と環濠が一体となっている遺跡は、規模・形状時代性などの点から日本では他に例を見ない。縄文時代の大土木工事をしのばせる貴重な遺跡である。ただし、環濠は調査のあと、埋め戻されたため、現在は見ることができない。JR日高本線ほか苫小牧駅から車で約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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